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2006.10.14

10月14日(土)

今日の東京は、とてもいい天気です。
こんな気持ちのいい休日の朝は(あ、もう昼だ)、
茂木健一郎さんの言葉について考えることから始めましょう。

著書「脳と仮想」の中で、茂木さんは書かれています。
「芸術は、人の心を傷つけることで感動させる」と。

優れた芸術に接することで感動した時、
僕らは、胸の中をえぐられた様に感じ、
身動きがとれなくなり、涙が溢れ出し、
そこから立ち直るのに、暫くの時間を要することがあります。

初めて神代辰巳さんの映画を観た時、
僕はまさに、そんな状態に陥りました。
(神代さんがどういう映画を撮られる方かは、
 あまりこのブログ的ではないので伏せておきますね・笑)
その映画の持っていた何かが、僕の中に突き刺さってきて、
上映後の暫くの間、その場から立ち上がることが出来なかったんです。
その「何か」が一体何なのかは、未だに解らないし、
簡単に解る様なものならば、突き刺さる前に、
理解することで、頭の中に収納されてしまいますよね。

「傷つけるといっても、もちろん、
 心ない言葉のように不快な形で傷つけるのではない。
 その瞬間に、何かが自分の奥深くまで入り込んで来たような気がする。
 ああ、やられたと思う。その時の感覚が何時までも残り、
 脳の中で、何らかのプロセスが進行しているのが感じられる。
 その過程で、世界について、
 今まで気付かなかったことに気付かされる。」

(本文より)

それは決して不快な感覚ではなく、
むしろ、何度でも味わいたいと強く望む様な感覚。
ずっと言葉には出来なかったけれど、

「心を傷つけることで感動させる」

確かに、そうだ。
Posted at 12:18 | ことば | COM(6) | TB(0) |
2006.09.11

一回性

「 強く印象に残る重要な出来事ほど、繰り返される必要はない 」

  茂木健一郎 「脳と創造性」より

印象的な体験ほど、強く心に残っている。
残っているってことは、残っているってことなんです。
自分の中に、強く刻印されているってことなんです。
だからもう、それだけでいいんです。

全てのことに「もう一回」なんてあり得ない。
全てのことが「一回限り」でしかあり得ない。
だからこそ、そこに尊い価値がある。

繰り返そうとはせずに、
また新たな「一回限り」を刻むこと。
Posted at 02:18 | ことば | COM(9) | TB(0) |
2006.08.26

夜遅くに

「 我々は生成しつつあるものを表現する言葉を持っていない 」
とニーチェは言ったそうですネ。

確かに、僕らが普段書いたり表現したりすることって、
その殆ど全てが、物理的にか精神的にか、既に起こったことですよね。
起こったことを、その印象の強さ(あるいは不思議さ?)のあまり、
表現として何かに定着したくなる。
今まさに起こっている(成りつつある)ことを
それと同時に表現しているわけじゃない。

だから何? って感じですが・・・
フフフ、言いっ放しにしときます。

Posted at 02:54 | ことば | COM(4) | TB(0) |
2006.08.03

影響され力

他人に左右されない頑固な自分の意見の持ち主って、
実はあまり考えないひとなんじゃないだろうか。
考えるひとというのは、ひとの意見を聞いて敏感に反応して、
すぐに「なーるほど」とか「あっそうか」とか言って、
むしろ自分の意見にはこだわらないんじゃないだろうか。

野矢茂樹 「はじめて考えるときのように」より

「◯◯力 」っていう言い方が少し前から流行ってますね。
それに倣って僕もひとつ。

影響され力。

影響を与える力だけでなく、影響される力も、
案外大事だったりするのでは?と思うのです。
(まぁ僕は、与える力すら持っていないのですが・・・)

自分とは全く異なるものから、何らかを吸収する。
吸い込んで自らの中に、その異物を循環させる。
時には目を閉じて、ただ流れに身を任せてみたり。
やがてはそれが、本当に自らの血肉となるのかが、わかる時がくる。
面白いことに、なってもならなくても、
影響された後の自分は、確実に変わっている。

影響され力。
Posted at 08:29 | ことば | COM(4) | TB(0) |
2006.06.17

温度を、



DON’T THINK. FEEL.

高野登 「リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間」より

考える前に、相手の温度を感じること。
僕、これがすごく苦手です。

人の気持ちって、100%正確に言葉にできるものじゃないですよね。
言葉になった時点で、幾らかは「くるい」が生じてしまっている。
僕の場合、その「幾らかはくるった」言葉に
すがる様にして相手を理解しようとしてしまうので、
気付いたときには、相手の本当の気持ちとは
全く違うところに辿り着いている、なんてことがよくあります。

言葉に、頼りすぎなんです。
伝える手段も、感じとる手段も、言葉だけじゃないのに・・・

相手の温度を感じ、気持ちに耳を傾けること。
難しいけれど、もし出来たとしたら、
今までとは違う相手が、違う世界が、見えてきそうな気がします。
Posted at 02:15 | ことば | COM(10) | TB(0) |
2006.06.03

ふむふむ。



「 本当のデザインは流行と戦うところにあるのだ。」

  柳宗理 「柳宗理エッセイ」より

ふむふむ。納得。
「デザイン」のところを「絵本」に置き換えてみても・・・
ふむふむ。納得。
Posted at 09:25 | ことば | COM(10) | TB(0) |
2006.06.01

守りたかったのは

「 延べられた手を守った その時に 守りたかったのは自分かもしれない 」

 BUMP OF CHICKEN 「supernova」より

この歌詞が、ずっと気になっていたんです。
他人のことを想っているつもりで、
実は自分のことを思っていた、ということが
臆病な僕には、たくさんある様な気がして・・・

「延べられた手」を守ることで、
自分は何かを守っている強い存在なんだ、と思いたいのか?
「延べられた手」を守ることで、
何かを守っている自分の姿を、もっと他人に見て欲しいのか?

そんなことは、どうでもいいことのはずなのに・・・
Posted at 01:28 | ことば | COM(6) | TB(0) |
2006.05.02

服。

「 女性は、衣服が生き方やライフスタイルまでも
  変えうるものだと、潜在的に感じています。
  衣服の持つ可能性を信じている。」

 d long life design vol.7  清水早苗 「実験的ファッション論」より

その人に似合う服は、その人を外側から引き立てる。
その人の好きな服は、その人を内側から輝かせる。
そんなことを思いました。
Posted at 02:33 | ことば | COM(2) | TB(0) |
2006.04.21

感覚の記憶

それでも、私たち一人一人は、間違いなく、
親や教師が与えてくれた無数の
「思い出せない記憶」によって支えられている。

茂木健一郎 「脳の中の人生」より

今まで僕がココで書いてきた幼い頃の出来事が、
今の自分にどう影響しているかは分かりません。
もしかしたら、全く影響していないのかもしれない。

でもたぶん重要なのは、「出来事」そのものではなく、
その時に感じた「感覚」の方ではないでしょうか。
出来事の記憶ではなく、感覚の記憶。

子どもを持たない僕が、親の立場から
絵本や子どもについてを語ることはできません。
でも「元子ども」として、幼い頃に感じていたことを
大人になった今書くことは、それほど無意味ではないと思っています。
Posted at 08:02 | ことば | COM(16) | TB(0) |
2006.04.18

見えている



「見えるというのは、ただ目があるというだけではだめなので、
 見方の確かさや深さが養われていないといけないこと」

 松岡亨子 「えほんのせかい こどものせかい」より
(松岡さんがB・L・バートンさんとご一緒して気付かれたことだそうです)


「それが見えているのは自分だから、その価値をつくっていくのは自分です。
 それを何かで濁さないでください。」

 深澤直人 「デザインの輪郭」より


以前、本で読んだのですが、
黒澤明監督が映画作りに対して非常に厳しかったのは、
他の人には見えないものが、監督には「見えていた」からだそうです。
それを細部まで現実化しようとすると、おのずと厳しくならざるを得ない。

みんなよく「こだわり」って言い方をするけれど、
それってより正確に言うと、
自分に「見えている」ものを無視しないっていうことなんですね、きっと。
Posted at 01:47 | ことば | COM(2) | TB(0) |
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