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2006.05.16

僕のおじいちゃん

新潟の実家に住む僕のおじいちゃんは、
目が見えません。耳も殆ど聞こえません。
身体も、もうあまり自由が利かないので、
椅子に座ってラジオを聴いているか、寝ているかです。
だから僕が帰省しても、話す機会が殆どありません。
哀しいけれど、そうです。

でも、実家に着いた時と、
しばらくの滞在後また東京へ戻る時の2回、
「おじいちゃん、ただいま」、「おじいちゃん、またね」と
耳元で声をかけ、手をギュッてやります。
僕が帰る時間帯には、おじいちゃんはだいたい布団の中なので
その手はとてもあたたかいです。

僕たちは五つの感覚を持っています。
見えなくても、聞こえなくても、
身体に触れることで、それが心にまで触れることを願って、
手をギュッってやるんです。



ジョン・バーニンガムの絵本「おじいちゃん」で
描かれているおじいちゃんの手は、こんなに大きいです。
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この記事へのコメント
jasuminさんのお母さんも、遠くにいらっしゃるんですよね。
月並みな言い方ですが、
離れてみると、ホントその尊さを感じますよね。

おじいちゃんは今、何を「幸せ」と感じているんだろう。

今みたいになっても、僕が手を握ると
「おう、がんばれ!」って言ってくれるんです。
今みたいになっても、まだ・・・ 僕に向かって
Posted by littleblue at 2006.05.17 01:41 | 編集
こうめさん、今もまたつないでらっしゃるんですか?
散歩とか?
僕は手をつないで歩いたことはないですが、
たぶん男同士なので、最初はちょっと恥かしいかな。

あ、ちょっと違うけど、昔のユナイテッド・アローズの広告に
とってもいいコピーがありました。
だいたいですが・・・
「今日、手を繋いで仲良く歩く老夫婦を見かけた。
 人生に成功するって、こういうことだと思った。」って。
Posted by littleblue at 2006.05.17 01:32 | 編集
ganbaさん、ありがとうございます。
この絵の作者も絵本もおすすめですよ。

僕のおじいちゃんは職人で、昔からの考えもあった人なので、
子どもの頃は、けっこうモメたこともありましたよ。
最近です。素直に尊敬できる、と思えたりするのは。

確かにおじいちゃん、おばあちゃんがいる空間は
どことなく落ち着きますね。

あ、でもウチのおばあちゃんの方は、
「包容力」というよりは「行動力」です。
まだまだ、せわしなく動いてます。(笑)
Posted by littleblue at 2006.05.17 01:26 | 編集
おんなじ。
おじいちゃんはいないけれど、私は母の手をぎゅってします。
そして細く折れ曲がった足もすりすりします。
おじいちゃんが ただ いてくれる幸せと
おじいちゃんの幸せ。

心の目、心の耳
気持ちのつながりが生み出す目に見えない絆なんですね。
Posted by jasumin at 2006.05.16 09:00 | 編集
わたしもこの前おじいちゃんに会いました。

小さいときはたくさん手をつないでもらって、
大きくなってからは「ふれあう」ことが少なくなったけど、
今はまた手をつなぐから、なんだかくすぐったい気がします。

今は、一緒にもっている長い時間があるから、
いろんなことを、感じますね。
Posted by こうめ at 2006.05.16 08:54 | 編集
いいお話ですね。
littleblueさんの優しさが伝わってきます。

この絵もいいですね☆
私は生まれた時点でおじいちゃんが二人とももう他界していて「おじいちゃん」という存在を肌で感じたことがないのですが、もしいたらきっとこんな風に大きな手を感じられたんだろうな・・・なんて思います。
おじいちゃんやおばあちゃんって、そこにいる空気だけでもなんとなくほわっとした包容力みたいなものを感じますよね(*^_^*)
Posted by ganba at 2006.05.16 04:04 | 編集
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