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2007.05.02

今日の越後は、



雨降りです。

特に予定もなく、散歩もサイクリングもできないので、
取り留めのないことを書こうと思います。

昨日、父親の部屋の模様替えを手伝っていたら、
新しく届いた(といっても中古の)デスクの引き出しから、
使い古しの鉛筆が数本出てきた。

みんな同じくらい短くて、しかもちゃんと削ってある。
使い込んでる。

もちろん職業にもよるけれど、
今時あまり見ないモノだったので、思わずパチリ。

僕の左の掌には、鉛筆の芯が刺さった跡がある。
もう十年以上前からかなぁ。
刺さった時は、もちろんすぐに抜いたけど、
鉛が全部抜けきっていなくて、黒くホクロみたいに残ってる。


話は変わって、
最近読んだ本に面白いことが書いてあった。
僕らは、経験したことを言葉で表現すると、
経験そのものを誤って記憶しやすいらしいと。
(おぉ、まさに今僕がやっているこの行為じゃないか・・・)

言葉は、経験をかいつまんで表現するから、
しかも言葉の数は、経験の数ほどに多くはないから、
経験の言語化という作業は、どうしても、
開いた花びらを、再びきゅきゅ~っと
つぼみに戻すかの様な、圧縮の作業が必要になるのだろう。
(たぶん。ココは僕の解釈だけど・・・)

その過程で僕らは「経験そのもの」よりも、
むしろ「言語化された経験」の方を記憶してしまう、らしい。

もちろん、それは決して悪いことではなくって、
そうやって次々に起こる無数の出来事の
ポイントだけを記憶するという、優れた特徴でもある。
だって「生きた分だけの長さ」の記憶なんて、持てっこないんだし。


でもやはり、ホントに大事な経験を、
すぐに言葉にしてしまうのはもったいないのかも知れない。
ある程度、味わって、まどろんで、
場合によっては言語化なんていう作業は、
その後のあと片付けの様にすればいい、のかも知れない。

ということを心に留めつつ、
これからもココを書いていきたいなぁ、と思う。
この記事へのコメント
ganbaさん、どうも。
たしかに、逆バージョンだ・・・

でも、そういうことって十分にあり得ると思う。
脳も、その中に貯蔵されている記憶も、
もっというと日々当たり前に様にしている「認識」ってヤツも、
僕らが自分で思って(信じて)いるほど、確実じゃない。
っていうか、信用できないものなんだなぁ。
っていうのが、僕がこのところ脳に興味を持って、
色々と調べてみて思う一番のことです。

だから、幻覚も幻聴も十分にあり得るし、
(脳の中では現実に起こっていることとの区別はつかない様です)
今、目の前の「幻」じゃなくっても、
時間が経って、記憶が薄れると同時に、
在ったはずのものが無くなったり、無かったはずのものが現れたり・・・

でも、
ganbaさんの現実をかい摘んでする記憶ではなく、
現実に物足りなさを感じて、自分で色とりどりの風景に
補っちゃう記憶能力、お見事です。

それなら、多少の大事なことなら忘れちゃっても、
きっと楽しい日々が送れるのでは?
あ、K-1とPRIDEの放送日時は忘れずに(笑)
Posted by littleblue at 2007.05.08 07:05 | 編集
この記事を読んでから、「こういう経験あるような気がする・・・」ってずっとひっかかってたんだけど、昨日お風呂に入っている時に、ハタと気づきました。
私の場合、ある意味これと逆バージョン。
小学生のころに読んだコロポックルの本がもう一度読みたくて、去年探したんです。
私の記憶では、その本は「絵本」
蕗を傘にして歩くコロポックルや、普段は誰にもみつけられない場所にあるコロポックルの村や、色んな場面がカラーで鮮やかに、生き生きと記憶に残ってて。
だけど捜し求めて手にした本は、挿絵がついている普通の本。
その挿絵も、カラーじゃなく・・・
店員さんに、これの絵本は出ていませんか?って聞いてみたけど、これだけですという答え。
たぶん、小学生のころの純粋な感性が、本を読みながら場面場面を空想していたんでしょうね。
まるで自分がコロポックルの世界に遊びに行ったような気持ちになっていたんだと思います。
そしてそれが、そのまま記憶となって残ったんでしょう。

こういう記憶、私結構多いかも。
だから容量オーバーで、大事なことを忘れたりするのかもね・・・
プププッ (*^m^)o==3
Posted by ganba at 2007.05.07 01:27 | 編集
ななさん、こんにちは。

ふむふむ。僕もメモしちゃうね。
でも、書いてるうちに、書く事に集中しちゃって、
いつのまにか「考え」の方がどこかに行ってしまう。
で、「あれ?どこまで考えてたんだっけ?」って・・・
メモの技術も磨かなきゃだね(笑)

洗濯バサミを撮るのは、ヘンで、そこが面白い。
数年前に見た某イラスト雑誌で、
洗濯バサミが二つ、紐みたいなのを挟んでる、
ただそれだけのイラストがあって、横尾忠則さんが
「こんな単純なモチーフを、こんなに面白く描くなんて!」って絶賛してた。
そんで確かにヘンな絵で面白かった。(しかも出身校が一緒の作者だったし)
それ以来、僕も注目してるモチーフなのです。

忙しいのですね。
無理せずに、ゆっくりと。
なないろペース(なんじゃそりゃ?)で頑張って下さい。
Posted by littleblue at 2007.05.05 17:12 | 編集
わたしの場合は、たいせつな経験は忘れないように、直ぐに書き留めておかないと、まどろんでゆっくり味わっているうちに、とろとろと溶けてしまって、流れて、そうして部分的にわすれてしまう。

物凄く、よくばりなのかもしれない(笑)

えんぴつのささった跡ではないけれど、抜けなかったとげのささった跡が、左手の手のひらにあるよ。
右利きだから、やっぱり、左に刺さりやすいのかなぁ。

上のえんぴつさん、
わたしのは、えんぴつでは無いけれども、とても似た構図で、数週間まえに、また新しいなないろ絵本をつくりました。
だから、見たときは思わず笑っちゃった。
(あと、洗濯バサミ撮るひとは、わたしくらい?って思ってたら、ココにもいたか。)

更新したいけれども、どんどん山積みになってってるこの頃。ものよりも、時間がほしい~~


Posted by なな at 2007.05.05 15:43 | 編集
おお!
こうめさんは足の裏ですか!
体重がかかるだけに、すごく痛そう。

マウスを使ってると、
手の付け根のあたりに「マウスだこ」ってでいません?
つい先日、今度はシャーペンの芯が刺さってしまったのですが、
運良くマウスだこの部分にブサリ、全然痛くなかった・・・
脱皮はしたことないけどねぇ。

そうそう。
あえてブログなんてやらない人もいるし、
やってている人でも書かないことはもちろん沢山ありますよね。

でもやってると、
どうしても「書いてること」だけで見られがち。
そのことには、よく困ります。(笑)
Posted by littleblue at 2007.05.04 13:43 | 編集
HITTER鶴さん、こんにちは。

偶然ですね!
綺麗に、しっかりと鉛が残っているのが不思議です。

「ブッさされた」という言葉から、HITTER鶴さんが、
その後やり返したという想像をしてしまうのですが・・・(笑)

心の扉、
僕はけっこう「こじ開ける」タイプかも。
Posted by littleblue at 2007.05.04 13:12 | 編集
わたしも、あしのうらに、えんぴつのさしたあとあるよー!

超いたかったの、鮮烈におぼえています。

手にもあったはずだったのに、
脱皮をくりかえしていたら、なくなってしまいました。

授業中とか、ふざけていると、やっちゃうんですよね。


じぶんの日誌を書きながら、
いろんなホームページとか、ブログとか、みながら、
書かない人、書かれないことのこと、よく想います。

Posted by こうめ at 2007.05.03 13:36 | 編集
ええー!何たる偶然でしょう!私も左手の項に鉛筆芯の後が・・・・・
私のはじつは男の子と喧嘩してブッさされたものですが。

たしかに心の扉をひっそりと開けたりするのが大好きです。
Posted by HITTER鶴 at 2007.05.03 04:20 | 編集
jasuminさん、

本題とは別ですが(笑)、
うん!確かにマイティ・モーは、フィリオに似てきてる!
全く盲点(モー点じゃないですよ!)だったなぁ。
自分じゃ気付かなかったなぁ。ありがとうございます!

で、やっと本題に・・・

写真も似てるかも知れませんね。
印画紙に(あ、今はメモリー?)「残している」って安心感から、
心に残すことを忘れてしまっていたりするかも。

でも、
言葉にするのは簡略化って感じですが、
写真にするってのは、固定化っていう感じがします。

いつも記憶を、「経験そのもの」ではなく、
写真に写っている場面のイメージとして思い出す、みたいな。
「言語化された記憶」ではなく「画像化された記憶」でしょうか。
あくまで僕の未熟な推測に過ぎませんが(笑)

いずれにしても、
別の何かで表しきれないということは、表現力のなさではなく、
それだけ「経験そのもの」の方がずっと豊かなんだということなんですね。

ちなみに、今回読んだ本は茂木さんじゃありませんよー。
Posted by littleblue at 2007.05.02 23:59 | 編集
うんうん、これからも「ここ」を書いて+描いていってくださいね。

なるほどです。「言葉の数は、経験の数ほどに多くはないから」
写真に収めてしまって残せたことに安心してしまう経験も、言葉と同様に簡略化された記憶なのかしら?
私たちの経験って、とても素晴らしい。
きっと少ない言語で現してしまうには惜しいくらいの素晴らしさが潜んでいるに違いないです。


(関係ないけど、この前のK-1で、マイティ・モーが勝ち進むごとに、フランシスコ・フィリォに似てきたことをlittleblueさんに話したくなりました)
Posted by jasumin at 2007.05.02 22:35 | 編集
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