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2006.08.30

閉じてみる

「ひろくん」は、
目を閉じて、目の見えない友達のことを想像します。
すると、この世界のあらゆる音が見えてきます。
耳を塞いで、耳の聞こえない友達のことを想像します。
すると、この世界のあらゆる風景が聞こえてきます。



「どんなかんじかなあ」  中山千夏 ぶん  和田誠 え

障害のことを想う時、
僕は自分にとって一番近い、「おじちゃん」のとこを考えます。
以前にも書きましたが、実家に住む僕の祖父は、
目が見えず、耳も殆ど聞こえません。
だから、帰省しても殆ど話すことができないのです。
祖父が障害を持つ様になってからは、
やはりその辛さを想う機会は増えましたが、
恥ずかしながらこの絵本を読むまでは、
僕は本当には、祖父の置かれている状況を
想像してみることをしていませんでした。

目が見えず、耳も聞こえないってどんな感じだろぅ?
ってことを。

人それぞれ、感じ方は違ってくると思いますが、
視覚と聴覚を塞ぐと、眉間の奥のあたりに、
色んな、よく分からないものが密集してくる様な感じがして、
頭が破裂しそうになります。
(何だそれ?って感じですね。でも、上手くは説明できません)
僕はその状態が、恐くて恐くて仕方がありませんでした。
正直言って、それがずっと続くとしたら、
そのことに耐えるだけの自信を自分が持てるとは思えなかった。
でも祖父は、耐える自信を持てるとか持てないとかの問題ではなく、
おそらく、そう在るしかないんであって、
それは単純に強いことだと思いました。

きっと、何かを失う時というのは、
別の何かを強くしなければならない時なのかも知れません。

この絵本の終盤では、
実はひろくんは想像する立場だけでなく、
想像される立場でもあることが伝えられます。
立場が、世界が、ひっくり返るんです。
そして、ひっくり返ったその後に、
ひろくんの、というか障害を持った方々の、
心の持ち方の奥深さに、震え上がらずにはいられないのです。
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この記事へのコメント
jasuminさん、ありがとうございます。

「意外だ」と思ったことが「偏見」?
どういう意味だろ?
ごめんなさい、変なとこでつまずいちゃいました。(笑)

身近に障害を持つ人がいると、
僕の場合は、「普通の出来事として感じられる」というよりは、
意外と「普通の出来事として感じられているんだなぁ」と
日々接している家族たちを見て思う、という感じです。

僕はたまにしか会えなくて、見ている部分もほんの一部なので
より感傷的に考えちゃうんですね。
でも毎日一緒に過ごす家族は、そんなことではやっていけないのかなって。

今回の帰郷で思ったのですが、
姪は、僕が思っていたよりもずっと上手く歩いてました。
(↑いきなり話が変わってビックリしたでしょ?笑)
だから、先日書いた記事のように「ふらっふらで」歩く姪の姿は、
そこにはいなかったんです。
だから、茂木さんの「脳と仮想」ではないですが、
僕の持っていた「姪はこんなふうに歩く」という想像は、
本物を見た瞬間に、ただの仮想でしかなくなって、
それと同時に、僕の「ふらっふら」に対する思いも忘れ去られた・・・
(このことは今度記事に書こうかな)

え~と、何が言いたいかといいますと・・・(焦)

いつも「本当」に接している人たちにとっては、はた迷惑かもしれませんが、
本当の事の一部しか知らないが故に見えちゃうもの、
なんてのもあるんだなって。

でもたぶん、いつも一緒にいる人たちって、
そんなことはとっくに超越しちゃってるんでしょうけどね。(笑)
Posted by littleblue at 2006.09.26 08:13 | 編集
読みました。
子供に教えられましたが、この本、
埼玉県の夏休みの1.2年生の推薦図書になっていたそうです。
「ひろくんが想像される側だったこと」が意外だと思った私は、
やっぱりなんだかんだ言っても
偏見も持ち合わせているのかな?と思えてなりません。

でも家族に障害を持つ者がいたりすると
そんなかたと話したり交わることが
なんでもなく普通の出来事として感じられるので
それは母に感謝だなって思ってるのです。
Posted by jasumin at 2006.09.25 13:47 | 編集
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Posted by at 2006.09.05 00:34 | 編集
ハナガラさん、なになに!?
一瞬、本気でジャマしに来たのか?って思っちゃったよ。

確かに、かなり話題にはなってたけど、観てないよ。
ビョークは目が見えない役だったんだね。(それすら知らんかった・・・)
ここで書いてることと何か繋がってた?

で、君はどうだったの?
Posted by littleblue at 2006.09.04 01:07 | 編集
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005L97N

↑まぁ、結構話題になったし知ってるかとも思いますが。
賛否両論ものすごかったです。

なんとなく思い出したので、、、。
もしまだ見てないようでしたら是非に。
一人で見る事をお勧め致します。
Posted by ハナガラ2000GT at 2006.09.04 00:25 | 編集
チエミさん、そう「これ」です。
というか覚えていて下さっていて、ありがとうござます。
そちらでお話したのは、ずいぶんと前にのことなのに。

>きっと、身近にそれはあるような気がしたのです

そうですね。
気付いていないけれど、既に持っていて、
何かを「失くす」ことで、それが顕在化していくのですね。
そういうことって、たくさんあるような気がしますね。
失くなったら、そこを埋めるのに必死になるから、筋肉が鍛えられる?
そして、埋め終えた後には新しい自分になってたりして・・・

衝撃もあり、その後の感動もあり、とてもいい絵本でしたよ。
Posted by littleblue at 2006.09.02 23:54 | 編集
うんうん、とうなずいて読みました。
失ったものの代わりに『強さ』をもらう。
そうかもしれません。
きっと、身近にそれはあるような気がしたのです。

これ、ですね。
とても読んでみたいです。
Posted by チエミ at 2006.09.02 20:55 | 編集
miyacoさん、
さっそく調べてみた「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は、
まさに今、開催されていたんですね。しかも全て満席・・・
知らなかったのですが、1時間半も体験するんですよね。
それだけあったら必ず何かしらに気付くことが出来るかな?
でも、今年は(も?)もう無理なのかなぁ。

学生の頃の駅でのお話は・・・
ホントに難しいところですね。
確かに、充分に知らないのならやらない方が・・・というのも分かりますが
やって(間違って)みなきゃ気付かないってこともあって、
そうやって個人なり社会なりが成長していくのかな、なんて思うし。
(↑ なんかおおげさな言い方?)
ただ僕がそこにいたら、miyacoさんの様に障害者の方の
お手伝いをするだけの勇気を出せなかったかもしれない。
そういう意味で、miyacoさんの行動力には歓心します。

ホント、親切って難しい。
Posted by littleblue at 2006.09.02 01:49 | 編集
学生の頃、駅で視覚障害者の方を見かけました。
私は(だぶん)「いいことをしよう」という気持ちでその方に声をかけ、階段を一緒に上り、駅の改札を出ました。そして、そこで「もう大丈夫ですよね」とサヨナラをしてしまいました。
そのときの駅員さんの「こいつなにをするんだ」という顔が頭から抜けず、あとから思い返してみると、私はそのとき、点字ブロックもなにもないところで、その方を置き去りにしてしまったのです。たぶんすごく困ったのだろうな、自分の満足のためにいいことをしたつもりになっていたのだな、と。今でも白い杖を持った方を見かけると、そのときのことを思い出し、苦しい気持ちになります。


「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」予約券はもう満席ですね。
昨年、当日券を求めて行ってはみたものの、入れなかったんですよ。
こどもの城で子ども向けのダイアログ・イン・ザ・ダークを開催していて運良く抽選に当たり、娘たち二人は体験したのですが、私は未体験なのです。

12日までですね~。今年こそは行けるかな??
Posted by miyaco at 2006.09.01 23:13 | 編集
sunndayさん、おはようございます。

ほぉ、そんな授業があったのですか。よさそうですね。
ひとりで「想像する」といっても、
なかなかリアルには出来ないものだったりします。
だから、そういった授業で実際に多くの人を交えて
共に体験し、語り合うことはよさそうですね。

そういえば、視覚障害者の先導のもとに、暗闇の中を体験する
「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」という
イベントがあったっことを思い出しました。
今年の開催予定を調べてみようっと。

>無関心でいる事が一番怖いな、と思います

そうですね。無関心でいるということは、
自分にとっても、他人にとっても、とても恐いことかもしれませんね。
そのお友達の言葉に触れることが出来たことで、
sundayさんはの「想像」はとてもリアルで深いものとなったのでしょうか。
Posted by littleblue at 2006.09.01 07:09 | 編集
学生の頃、たしか障害についての授業があって、アイマスクをして目が見えない状態で校内を歩くとか、自分達の考えを発表したりしました。
その時のクラスに、片手がない同級生がいました。
彼女は、「自分が障害者になった時は、すごく葛藤があって死にたいと何度も思った。
でも、今こうしているのは、生きていかなければいけないから。
人間はそうなった時に、辛いし悲しいけど生きていこうとする。」
というような事を言っていて、すごく心に残りました。
「その時」という「今」を真剣に生きているんだな、素晴らしいなって思った記憶があります。

想像する事…私もとても大切だなって思います。
自分が実際には体験していない事だけれど、想像しないでいるよりは、想像してみて、何かを考え感じていたいです。
無関心でいる事が一番怖いな、と思います。
Posted by sunday at 2006.08.31 18:04 | 編集
フラニーさん、そうですね、なるほど。

祖父の通過した「気持ちの折り合いをつけて」の時期に
想いを馳せたことはありませんでした。
頑固で、あまりなんやかんやと口にはしない祖父なので、
障害についても、潔く受け入れたとばかり想像していましたが、
心中でやはりは色んな葛藤があり、不安も半端じゃなかったのではと
フラニーさんに言われて、今はじめて想うことが出来ました。

ありがとうございます。

>自分がそうなったら・・・そんな強さがあるのかな
まさに、そう想像することの大切さを、
この本は書いて(描いて)いるのかな。
Posted by littleblue at 2006.08.30 22:08 | 編集
littleblueさんのおじいさんの作品の数々を
見せていただいているから、このお話と記事も
ぐんと胸にせまってきます。

きっと、ふいにやってくる障害には、
時間をかけてどこかで気持ちの折り合いを
つけて、すべて受け入れていかなければ
いけないんでしょうね。
自分がそうなったら・・・そんな強さがあるのかな
って、わたしも考えてしまいます。
Posted by フラニー at 2006.08.30 15:03 | 編集
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