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2007.06.11

ちゃちゃちゃ


親戚の結婚披露宴まえ、
ご親族控室にて「桜茶」をいただく。



以前から気になっていた
岡倉天心の「茶の本」を、ようやく読み始めた。

が、第一章目から凄い言葉の連発・・・
以下、抜粋↓

それは本質的に不完全なものの崇拝であり、
われわれが知っている人生というこの不可能なものの中に、
何か可能なものをなし遂げようとする繊細な企てである。

茶道とは、美を発見するために美を隠し、
顕わすことをはばかるものを暗示する術だからである。

みずからの中の偉大なものの小ささを感ずることのできない者は、
他人の中の小さいものの偉大さを見すごしやすい。

(桶谷秀昭 訳)

以下、僕↓

よく解らない言葉もあるけれど(笑)、
それでも「なんだか凄そうな気配」だけは、
ひしひしと感じる。

茶道も仏教も、
その深淵なる思想を見聞きするたび、ホント驚く。
それに比べて現代って?
と、他人事の様だけど、やはり思ってしまう。
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Posted at 08:18 | | COM(0) |
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