2007.04.29
life&bicycle

自転車で通勤を始めてから、
毎朝、大きな公園の中を走ります。
犬と散歩をしている人、
ジョギングをしている人、
ベンチで日光浴をしている人(たまに僕も)、
色んな人たちの「朝」の横を通り抜けて。
緑もいっぱいで、とても心地いい。
電車での通勤も、車中では読書ができるし、
それはそれで楽なのですが、
チャリンコで走るのは、身体を動かすことと、
視界に飛び込んでくるものの刺激の多さという点で、
今の僕にとって、とても新鮮。
何を思うにも、
脳内に「既に在るもの」が素材になるのだから、
一見どんなに斬新に見えるような発想も、
それらの「既に在るもの」の戯れの産物にすぎない。
そして、もちろん「既に在るもの」は、
そこに何を入れるかによって、日々変化していく。
だから、
日々何を視るか、は、きっと、
日々何を生むか、に繋がるんだと思う。
2007.04.29
2007.04.29
三つ
教育とは、人が学校で学んだことをすべて忘れた場合に、
あとに残っているところのものである。
アインシュタイン

僕は三人きょうだいの一番上で、
下には弟と妹がいる。
僕と弟の間に
ひとつ、いのちが流れていたらしく、
幼い頃、そのことの意味を知らないままに
しつこく聴きよった僕に、
母が仕舞いに激怒したことがあった。
「もうやめなさい!それがなかったら、
○○(弟)は生まれてなかったんだから!」と。
その時はもちろん、
母が何故そんなに激しく怒り出したのか、
まったく意味が分からなかったけれど、
不思議と、理不尽だとも感じなかった様な記憶がある。
母はもうとっくに忘れているだろうが、
そのエピソードは、僕にとって、
ある意味「いのちの教育」に成り得ている。
(まぁ、カッコよく言うとね〜・笑)
今日も東京は気持ちのいい天気です。
写真のカップは、
赤堀友美さんという方の作品。
形が好きで、前から持っていた上の二つに加え、
三つ目を購入。
2007.04.26
2007.04.25
2007.04.25
新緑の六義園で、
2007.04.24
2007.04.23
2007.04.22
はなればなれに
2007.04.21
無いものを
2007.04.21
ネガ < ポジ
ある音楽家の方が仰っていました。
何かアクションを起こすと、
必ずそれに対する理解者と無理解者を生むことになる。
そして無理解者の中には、
単なる妬みの様なネガティブな反応もとても多い。
だけどその「ネガティブ」を、
一つ一つまともに相手にしていたのでは、
何も創れなくなるよ、と。
今日の東京も、
少し風が強いけど、とてもいい天気です。
ネガティブパワーは中々しつこいですが、
ポジティブパワーは、
それを一瞬にして吹き飛ばしてくれることもあります。
だから、
自ら意識的に、触れるパワーを選んでみる
なんてのもいいですよね。
バランスを保ちながら。
何かアクションを起こすと、
必ずそれに対する理解者と無理解者を生むことになる。
そして無理解者の中には、
単なる妬みの様なネガティブな反応もとても多い。
だけどその「ネガティブ」を、
一つ一つまともに相手にしていたのでは、
何も創れなくなるよ、と。
今日の東京も、
少し風が強いけど、とてもいい天気です。
ネガティブパワーは中々しつこいですが、
ポジティブパワーは、
それを一瞬にして吹き飛ばしてくれることもあります。
だから、
自ら意識的に、触れるパワーを選んでみる
なんてのもいいですよね。
バランスを保ちながら。
2007.04.18
黒バウム
2007.04.17
2007.04.15
オイッス
2007.04.14
オハヨー
2007.04.14
出たよ。
2007.04.13
欠損も、
2007.04.11
はねうたさんの

ポストカード、3種。
それぞれに、さり気ないアイデアが隠されていて、
かわいいです。
僕は、
基本的に「分かりたい」タイプなのですが、
ポストカードの様に「誰に買われて」「どこに出されるか」、
行き先が全く分からない(しかも2段階に)っていうのも、
なかなかに素敵だなぁと思います。
決して分からないんだけれど、
分かってしまうより、もしかしたら楽しいかも知れない。
ふふふ、妄想の楽しみ・・・
ポストカードを作ることの醍醐味って、
そんなところにもあったりするのでしょうか?
写真はかなり初期のもので、
今は春だし、どんどん新作が出ているそうですよ。
関東でのお取り扱いは、ことり文庫さんだけ。
作者の「はねうたゆみこ」さんのブログも、
(只今プレゼントキャンペーン中↑みたいです)
お取り扱い店の「ことり文庫」さんも、右にリンクしています。
2007.04.09
まるで、
2007.04.08
A storm of falling cherry blossoms.
桜吹雪という言葉があるように、
桜が散るさまは、雪が吹きつける様子に例えられますが、
雪国育ちの僕としては、吹雪に見舞われた際、
そんな優雅な想いにひたってはいられません。(笑)

最近、春の陽気に誘われて(?)
チャリンコを購入してしまったので、
昨日はそれに乗って、のんびりと街を散策してみました。
できる限り、普段は選ばないような道、
より分からない方の道を選んで、必死にペダルを漕いで。
一時間程たっぷり迷ったあたりで、
桜咲く、とある霊園を見つけました。
こりゃ綺麗だ、とチャリンコを降りてしばらく歩くうちに、
幾度となくやや強い風が吹き、僕は桜吹雪を浴びました。
それは体感的にも視覚的にも、とても気持ちの良いものでした。
本当の吹雪はキツいけれど、これならいいなぁ
なんて思って、花びらが地面や墓石に降り注ぐさまを、
ただ、ぼ〜っと眺めていたら、
硬く冷たい墓石、その合間に覗く土と、
桜の花びらの柔らかな桃色とのコントラストが映えて、
思わず涙しそうになってしまいました。

ひとしきり感傷にひたった後、
気持ちを180度切り替えて、近所に住む人たちのことを思いました。
この付近に住んで、毎年この光景を眺めている人たちは、
僕が新潟で、吹雪のことを「こりゃ、キツいわ」としか思わないように、
この桜吹雪を「あら、また散るのね」くらいにしか
思わなかったりするのかなぁ、と。
人間は放っておくと、どんどん慣れてくものですし。
ただ美しいものはない。
というような言い方がよくされます。
あらゆるものは、それ自体で「価値」なのではなく、
他のものとの関係性に於いて何らかの価値を帯びて在る、のだと。
何をどう思うかは、
そのものの於かれた物理的な状況や、
それを見る者の心的な状態に依りますが、
桜の花びらが「多くの方々の永眠の場」に降り注ぐさまを、
その時の僕は、美しいと感じました。
恥ずかしながら、
この歳になって初めて、桜のことをいいなぁと思い、
やはり初めて、「四季」のことを想ったのです。
そんな感じの4月7日、チャリンコ散策。
梶井基次郎の「路上」という短編で、
主人公が独り必死に、転びながらも崖を昇ったあげく、
そのあまりの強烈な内的体験のためか、
逆に自らの経験のリアリティを保つことができなくなってしまう
というような話があります。
結局は、帰宅後に鞄の中に入った「泥の固まり」を見つけることで
現実との接点が、かろうじて保たれるのですが、
それに憧れた僕は、
この霊園での体験を、どうしてもリアルに持ち続けたくって、
ちょうどリュックの上に付着した花びらを一枚、
そのままポケットへ押し込んだのでした。
追伸:
相変わらず、日記風に書かせたらこの支離滅裂さ、
僕の右に出る者はいないでしょう。(笑)
桜が散るさまは、雪が吹きつける様子に例えられますが、
雪国育ちの僕としては、吹雪に見舞われた際、
そんな優雅な想いにひたってはいられません。(笑)

最近、春の陽気に誘われて(?)
チャリンコを購入してしまったので、
昨日はそれに乗って、のんびりと街を散策してみました。
できる限り、普段は選ばないような道、
より分からない方の道を選んで、必死にペダルを漕いで。
一時間程たっぷり迷ったあたりで、
桜咲く、とある霊園を見つけました。
こりゃ綺麗だ、とチャリンコを降りてしばらく歩くうちに、
幾度となくやや強い風が吹き、僕は桜吹雪を浴びました。
それは体感的にも視覚的にも、とても気持ちの良いものでした。
本当の吹雪はキツいけれど、これならいいなぁ
なんて思って、花びらが地面や墓石に降り注ぐさまを、
ただ、ぼ〜っと眺めていたら、
硬く冷たい墓石、その合間に覗く土と、
桜の花びらの柔らかな桃色とのコントラストが映えて、
思わず涙しそうになってしまいました。

ひとしきり感傷にひたった後、
気持ちを180度切り替えて、近所に住む人たちのことを思いました。
この付近に住んで、毎年この光景を眺めている人たちは、
僕が新潟で、吹雪のことを「こりゃ、キツいわ」としか思わないように、
この桜吹雪を「あら、また散るのね」くらいにしか
思わなかったりするのかなぁ、と。
人間は放っておくと、どんどん慣れてくものですし。
ただ美しいものはない。
というような言い方がよくされます。
あらゆるものは、それ自体で「価値」なのではなく、
他のものとの関係性に於いて何らかの価値を帯びて在る、のだと。
何をどう思うかは、
そのものの於かれた物理的な状況や、
それを見る者の心的な状態に依りますが、
桜の花びらが「多くの方々の永眠の場」に降り注ぐさまを、
その時の僕は、美しいと感じました。
恥ずかしながら、
この歳になって初めて、桜のことをいいなぁと思い、
やはり初めて、「四季」のことを想ったのです。
そんな感じの4月7日、チャリンコ散策。
梶井基次郎の「路上」という短編で、
主人公が独り必死に、転びながらも崖を昇ったあげく、
そのあまりの強烈な内的体験のためか、
逆に自らの経験のリアリティを保つことができなくなってしまう
というような話があります。
結局は、帰宅後に鞄の中に入った「泥の固まり」を見つけることで
現実との接点が、かろうじて保たれるのですが、
それに憧れた僕は、
この霊園での体験を、どうしてもリアルに持ち続けたくって、
ちょうどリュックの上に付着した花びらを一枚、
そのままポケットへ押し込んだのでした。
追伸:
相変わらず、日記風に書かせたらこの支離滅裂さ、
僕の右に出る者はいないでしょう。(笑)
2007.04.08
将来、
2007.04.07
2007.04.02
日曜日も、
| HOME |

















