2007.03.31
土曜日は、
2007.03.31
ないじゃん。
2007.03.29
2007.03.25
2007.03.24
ふらふら

茂木さんばかり読んでるわけじゃないんだけれど、
やはりどうしても、茂木さんの言葉が引っかかってきてしまう。
「 初めての時に、よろよろふらふらみっともない。
そのような脆弱さの中にこそ、生命の本質は顕れるのであろう。」
「 輪廻転生でも信じていない限り、
生きるのも初めて、死ぬのも初めてであるはずだから、
そりゃあよろよろ、ふらふらもするさ。
しかし、それが地上にささやかな生を受けた
私たちの価値というもんだろう。」
昨晩、
久しぶりにジョギングしたら、キツかった。
細胞のひとつひとつが・・・ とまでは言わないけれど、
筋肉が、血流が、明らかに着いてきてない感じ。
足も視界も、ふらふらだった。
それでふと、「そういやぁ、数ヶ月前の姪もふらふらだったなぁ」
ということを思い出した。
歩き始めたばかり、一心不乱に目の前の風船を追う姪の姿もまた、
ふらふらだった。
考えてみれば、
地球上における生物の繁栄の歴史それ自体が、そもそも、
ある意味では「ふらふら」だったとも言える様な気がする。
数十億年という永〜いスパンの中で、
何度も何度も、絶滅(?)しては、またどこからか再生してきた生命は、
決して「ウマいこと」進んできただけではないんだと。
きっとその歴史は「ふらふら」だったんだろう。
何かに慣れて、徐々に洗練されていくということは、
それはそれで美しいのかも知れないけれど、
慣れるとは、自分の手の届く範囲を操るということでもあって、
能力的に既に獲得された範囲内で生きること、とも言えるんじゃないか?
久しぶりにジョギングすると、
一度はダレかけた筋肉たちが、壊れて、再生し始める。
ふらふらになりながらも、ベッドに入る頃には本当に気持ちがいい。
そうか、「ふらふら」って気持ちがいいのか。
そう思うことができる。
2007.03.23
2007.03.22
フレミング
2007.03.21
SHISEIDOの、
2007.03.20
2007.03.19
2007.03.19
Apple Store Ginza
2007.03.18
今日の東京は、
まだまだ寒いけど、とてもいい天気です。
「 生きていく上では、重要なものとそれ以外があり、
重要なことだけを押さえておけばよいと考えるのは、
自らの思考の周りに人工のガラス瓶をつくるようなものである。」
茂木健一郎 「脳と創造性」より

ということで、
ノッポンくんに久々にご出演いただきました。
(が、それは置いといて・・・)
例えば、
自分の好きなものだけを求め、
それだけでガチガチに身の回りを固めてしまうっていうのは、
ある意味「自分という範囲」から一歩も出ていない
という事にもなるのかも。
予定したことが、予定通りだけで済んでしまったら、
それはやはり「自分という範囲」内でしかなくて、
時としてそれは、とても窮屈。
だから、
いかに「それ以外」の侵入を拒まない自分でいられるか、
に憧れたりします。(それがまた難しいのですが・・・)
東京と違って、
新潟は雨天のとても多い地域です。
そんな土地で、もしずっと「人工のガラス瓶」の中にいれたら、
僕の大嫌いな雨を避けることはできるけれど・・・
陽の光も、風も、匂いも音も、きっとイマイチなことと思います。
「 生きていく上では、重要なものとそれ以外があり、
重要なことだけを押さえておけばよいと考えるのは、
自らの思考の周りに人工のガラス瓶をつくるようなものである。」
茂木健一郎 「脳と創造性」より

ということで、
ノッポンくんに久々にご出演いただきました。
(が、それは置いといて・・・)
例えば、
自分の好きなものだけを求め、
それだけでガチガチに身の回りを固めてしまうっていうのは、
ある意味「自分という範囲」から一歩も出ていない
という事にもなるのかも。
予定したことが、予定通りだけで済んでしまったら、
それはやはり「自分という範囲」内でしかなくて、
時としてそれは、とても窮屈。
だから、
いかに「それ以外」の侵入を拒まない自分でいられるか、
に憧れたりします。(それがまた難しいのですが・・・)
東京と違って、
新潟は雨天のとても多い地域です。
そんな土地で、もしずっと「人工のガラス瓶」の中にいれたら、
僕の大嫌いな雨を避けることはできるけれど・・・
陽の光も、風も、匂いも音も、きっとイマイチなことと思います。
2007.03.17
2007.03.16
炭火焼一助

2006年11月に、
新潟県三条市にオープンした「炭火焼 一助」。
炭火でじっくり焼き上げる食材には、
鳥だけに限らず、野菜や海鮮も揃えています。
お持ち帰りもできますので、ご家庭でもお楽しみ頂けます。
木の温もりを大切にした店内は、
カウンター席・テーブル席・お座敷の30席。
また、
お座敷にてミニ焼き台をご用意し、
お客様ご自身で、焼いて楽しんで頂くこともできます。
(詳しくは、直接お店へお問い合わせ下さい)

〒955-0046
新潟県三条市興野2丁目2-58 りとるたうん(旧ラブラブシティ)内
TEL・FAX:0256-34-5112
営業時間:PM5:00-AM2:00【水曜定休】
備長炭の力を、ゆっくりとご堪能下さい。
2007.03.13
ひゃく と ゼロ
たっぷりの干し草を食べて、100リットルの水を飲んで、
一日ひとつのうんちをする、生まれたばかりの象。
二年目、同じ様に
たっぷりの干し草を食べて、100リットルの水を飲んで、
今度はうんちが、ふたつになった。
そうやって、
毎年ひとつずつ、うんちの数は増えていき、
50歳では、象の予想通り50個に。
ところがその翌年、51歳になった象のうんちは・・・
(なので、もしお食事中でしたら後ほどお読み下さい)

「ぞうのさんすう」 ヘルメ・ハイネ さく いとうひろし やく
うんち、別名「大便」。
それは、生命からの「大きな」「お便り」です。
本来自然の一部として在ったものが、
自らの体内を経て届く、大切な大切なお便り。
主人公の象は、
このお便りを読み解く力を持っていたのでしょう。
象は自らの死期を悟る動物だと言われますが、
この本で、それはうんちの数によって示されます。
50歳までは毎年ひとつずつ増え続けたうんち。
ところが、51歳の朝には49個になり、
その後は一年ごとにひとつずつ減っていく。
48、47、46、45、44、43、42、41、40、39、38、37、36、35・・・
そしてついに、「さいごは はじめと おなじ」になり、
象は「うんちを しなくなったぞうが いくところ」へ向うのです。
そういう、ちょっと哀しげなお話。
モノクロの細い線画で構成された絵が、
その哀しさを、いっそう引き立てているかに見えますが、
淡々と、やや引いた視点で描かれているためか、
訴えかけてくるのは「同情」ではなく、
むしろ、「考えること」である様に思われます。
「 ぞうは しあわせでした。
100年 いきてみて、やっと ゼロというものが わかりました。」
象は、決して哀しくはなかったのです。
一日ひとつのうんちをする、生まれたばかりの象。
二年目、同じ様に
たっぷりの干し草を食べて、100リットルの水を飲んで、
今度はうんちが、ふたつになった。
そうやって、
毎年ひとつずつ、うんちの数は増えていき、
50歳では、象の予想通り50個に。
ところがその翌年、51歳になった象のうんちは・・・
(なので、もしお食事中でしたら後ほどお読み下さい)

「ぞうのさんすう」 ヘルメ・ハイネ さく いとうひろし やく
うんち、別名「大便」。
それは、生命からの「大きな」「お便り」です。
本来自然の一部として在ったものが、
自らの体内を経て届く、大切な大切なお便り。
主人公の象は、
このお便りを読み解く力を持っていたのでしょう。
象は自らの死期を悟る動物だと言われますが、
この本で、それはうんちの数によって示されます。
50歳までは毎年ひとつずつ増え続けたうんち。
ところが、51歳の朝には49個になり、
その後は一年ごとにひとつずつ減っていく。
48、47、46、45、44、43、42、41、40、39、38、37、36、35・・・
そしてついに、「さいごは はじめと おなじ」になり、
象は「うんちを しなくなったぞうが いくところ」へ向うのです。
そういう、ちょっと哀しげなお話。
モノクロの細い線画で構成された絵が、
その哀しさを、いっそう引き立てているかに見えますが、
淡々と、やや引いた視点で描かれているためか、
訴えかけてくるのは「同情」ではなく、
むしろ、「考えること」である様に思われます。
「 ぞうは しあわせでした。
100年 いきてみて、やっと ゼロというものが わかりました。」
象は、決して哀しくはなかったのです。
2007.03.11
雪国育ちだし
様々な雪の結晶の写真に、
詩人や著名人の「言葉」が添えられています。英語で。





Kenneth Libbrecht 「 SNOWFLAKES 」
僕は英語ができないので、
ただ、この形たちを眺めているだけなのですが、
不思議ですね。
もちろん自然物なんだけれど、
じっと見ていると、その規則的なパターンに、
どうしても人工物を想像せずにはいられない。
想像しつつ、
とは言え、やっぱりそれは自然のものなんだと、
思い直し、感嘆する。
意識の中で、
その二つの捉え方が椅子取りゲームしてるみたい。
でも、
僕たちの心の中でも、
一見正反対の感情が同居していて、
それらが交互に立ち現れてくるっていうことはよくあるし、
例えば、仏教と自然科学など、
一見対立的に思える概念同士でも、
ある地点に於いては、重なった様に見えることもあるというし、
だからきっと、
どちらか一方なのではなくって、
両方あってこその「世界」なんであって、
じっと眺めることでその両方が見えてくるっていうのは、
考えてみれば当然のことなのかも知れません。
そんな感じで、眺めるのにいい本です。
・・・って、全く本の紹介になってませんね(笑)
ことり文庫さんで、買いました。
詩人や著名人の「言葉」が添えられています。英語で。





Kenneth Libbrecht 「 SNOWFLAKES 」
僕は英語ができないので、
ただ、この形たちを眺めているだけなのですが、
不思議ですね。
もちろん自然物なんだけれど、
じっと見ていると、その規則的なパターンに、
どうしても人工物を想像せずにはいられない。
想像しつつ、
とは言え、やっぱりそれは自然のものなんだと、
思い直し、感嘆する。
意識の中で、
その二つの捉え方が椅子取りゲームしてるみたい。
でも、
僕たちの心の中でも、
一見正反対の感情が同居していて、
それらが交互に立ち現れてくるっていうことはよくあるし、
例えば、仏教と自然科学など、
一見対立的に思える概念同士でも、
ある地点に於いては、重なった様に見えることもあるというし、
だからきっと、
どちらか一方なのではなくって、
両方あってこその「世界」なんであって、
じっと眺めることでその両方が見えてくるっていうのは、
考えてみれば当然のことなのかも知れません。
そんな感じで、眺めるのにいい本です。
・・・って、全く本の紹介になってませんね(笑)
ことり文庫さんで、買いました。
2007.03.11
散歩中、
ふと思い出した。
専門学生の時、卒業間際に先生に言われたこと。
「 金持ちにも貧乏人にも、老人にも子どもにも、
どんな人にも平等なもの、それが『時間』です。」
あ〜、なるほどね〜。と、当時は歓心したもんだけど、
その「時間」というものが、
常に人間によって「認識されて」在るものである限り、
心理的な時間として、やっぱり個人差がありますよね。
何かに熱中している時と、暇な時じゃ、
感じる時間の長さが、明らかに違いますもんね。
そういう意味では、
金持ち同士でも貧乏人同士でも、クラスメイトでも茶飲み友達でも、
他人とは決して同じであり得ない、それぞれの「時間」を持っている。
という言い方もできますよね。
だから、

この人にも、きっと「この人の時間」があるんだろう。
結局、
何かしら脈略をつけて、この写真を登場させたかっただけ、
とのウワサも・・・(笑)
専門学生の時、卒業間際に先生に言われたこと。
「 金持ちにも貧乏人にも、老人にも子どもにも、
どんな人にも平等なもの、それが『時間』です。」
あ〜、なるほどね〜。と、当時は歓心したもんだけど、
その「時間」というものが、
常に人間によって「認識されて」在るものである限り、
心理的な時間として、やっぱり個人差がありますよね。
何かに熱中している時と、暇な時じゃ、
感じる時間の長さが、明らかに違いますもんね。
そういう意味では、
金持ち同士でも貧乏人同士でも、クラスメイトでも茶飲み友達でも、
他人とは決して同じであり得ない、それぞれの「時間」を持っている。
という言い方もできますよね。
だから、

この人にも、きっと「この人の時間」があるんだろう。
結局、
何かしら脈略をつけて、この写真を登場させたかっただけ、
とのウワサも・・・(笑)
2007.03.10
絶妙。
2007.03.05
はさむ。
2007.03.04
キョロ
2007.03.03
つかむ。
欲しいものをいくつか持っていないことこそ、
幸福の不可欠の要素である。
ラッセル「幸福論」より

最近、
コーヒー用にと琺瑯のドリップケトルを購入しました。
琺瑯は、直で火にかけると持ち手の部分まで熱〜くなっちゃうので、
デザインお任せで、おばあちゃんに「鍋つかみ」をオーダー。
もちろん、
巷にも素敵な鍋つかみはたくさん売っているだろうけれど、
作ったり作ってもらったりってのが、なんかいいなぁ
と思う今日この頃です。
(見えにくいかも知れませんが、微妙にラメが入ってます)
「幸せをつかむ」という言い方がよくされますが、
幸せでも鍋でも琺瑯ケトルでも、それをつかむには、
まず「つかむための何か」を持つことが必要だと思うのです。
・・・はい、すんません。ムリヤリ繋げました(笑)
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