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2007.02.02

珈琲に感すること

会社の先輩から、その方が辞める際に譲り受けたカップ。
なかなかレトロで、いい柄でしょ。



はじめてコーヒーを飲んだ時のことは憶えてないけれど、
はじめてコーヒーを「あぁ、美味しい・・・。」と思った時のことは、
今でもよぉく憶えている。

19歳、専門学生の時のこと。
友人とコラボして、あるポスターのコンペに出品するため、
僕の自宅に泊まり込み、徹夜でアイデアを出し合った。
でも、若い時って、自分の意見も他人の意見も、その二つの調和も、
上手くコントロールしきれなくって、(あ、今もですが・・・)
作品は結局、意見の相違のすえに未完成に終わってしまった。
そんな徹夜明けの朝方、あたかも
「コラボの失敗を祝福するかの様に」差し込んできた朝日に包まれながら、
ふたりで無言で啜ったコーヒーが、本当に忘れられない。
(ちなみにインスタントでした)

はじめてアイスコーヒーを「あぁ、美味しい・・・。」と思ったのは、
八丁堀のジャズ喫茶っぽいお店。
ワイングラスに並々と注がれたそれは、
ガムシロを入れるだけの空きがなくって、
これは「最初の一口くらいはブラックで飲め」っていう
無言のメッセージなんだな、と思い、
飲んでみたら、ほんのりアルコールの様な風味がして美味しかった。

話は変わって、
最近、映画「珈琲時光」をビデオで観た。
一青窈、浅野忠信 出演、候孝賢 監督のちょっと前の映画。
候孝賢の映画は、いつも特にこれといった事は起こらないけれど、
観ていて「でも、日常ってこんな感じだよなぁ」と思った。
テレビドラマなんかの台詞って、一言一言がそれ自体で
ストーリーの進行にちゃんと関わっていて、
だからある意味、一言も聞き逃せなくって疲れちゃう。
でも、日常でのコミュニケーションって、
案外もっと雑なものなんじゃないかな、って思う。
もっと素っ気なかったり、説明不足ぎみだったりして。

そういう意味で、この手の映画はリアルでいい。
何かを想うための「間」が与えられている感じ。
あまり印象には残ってないけれど、
そんなことを想ったりして、それなりにいい映画だった。

特別な経験って、いつ訪れるか分からない。
でも、映画「珈琲時光」の様な、
一見「特にこれといった事は起こらない」様に見える日常の、
中というか、奥というか、その先というか、
とにかく、それとひと続きになって訪れるんだ、
ということだけは、確かな様な気がする。

コーヒーを入れた際、熱くなったカップの縁を、
疲れた目の、瞼の上から当てて暖めると気持ちいいですよ。
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