2006.11.25
みる。

このところ、
朝、一杯のコーヒーを淹れることがとても楽しみです。
最初はスーパー等で売っている1パックずつのドリップ式から。
やがて、お店で豆を挽いてもらってのペーパードリップへ、
そして、ついに先週、ミル購入〜!
ただのステンレスの円筒状で、
そのクールな感じがいいなぁ、なんて思っていたのですが・・・
使ってみて実感。うん、これ、思いっきり「携帯用」だった。
(そういえば、パッケージにもそんな表記が・・・)
本体が細くて不安定なので、
使う際は、しっかり手で持って、
腹筋の辺りに抱え込む様にして挽くしかないんですね〜。
でも、そういう使い方を誘発するデザインなわけだから、
ある意味、とても優れた「携帯用」なわけですが。
2006.11.22
ただ、抜粋。
子供の領分の中に、全てがある。
最高の知性を身につけ、洗練と博覧強記を追求し、それでいて、
公園でBB弾を見つけて喜ぶような、子供の心を忘れずにいなさい。
夢中になって遊び、気が付くと夕暮れだった、
あのような集中と強度を、そしてその後の弛緩のまどろみを持ちなさい。
そうすれば、世界はきっとその秘密をあなたに明かしてくれることでしょう。
茂木健一郎 「 やわらか脳 」より
2006.11.18
at 巣鴨
2006.11.17
2006.11.16
その時々
2006.11.15
ブランド
守るべきものと、変えていくべきものがあって、
その二つを混同しちゃうのは、
創造することを怠っているに過ぎないと思う。
その二つを混同しちゃうのは、
創造することを怠っているに過ぎないと思う。
2006.11.14
水族館にて
もう一ヶ月以上前の出来事ですが・・・
実家の新潟に帰った際に、家族と一緒に水族館に行きました。
海沿いに建つ、県内一の水族館「マリンピア日本海」。
優雅に泳ぐ大きなサメやマグロ、綺麗な色をした熱帯魚、
賢いイルカたちのショーはたくさんの客で賑わっていて、
どれも本当に面白かった。
でも何故か、僕が一番惹かれてしまった生物、それがこいつ。

イソギンチャクはあまり動かない。
僅かな海水の流れに合わせて、その触手をうねらせはするものの、
泳ぎもしないし、もちろん芸もできやしない。
だけど、じぃ〜っと見つめていると、
自分の中の深〜い部分、自分すら知らない自らの生の深部、
そんなところへと意識を運んでいってくれる様な、
不思議な気持ちになってしまう。
話は変わって(っていうか繋がってるけど)、
最近、美術評論家であり解剖学者の布施英利さんのお話を聞いて、
これかっ!て思ったんです。
“ ダイビングで海に潜って、たくさんの生物を見ていると、
熱帯魚は綺麗だけど、なんか底が浅いなぁって感じるんです。
それに比べて、ヒトデやナマコやイソギンチャクなんかの、
いわゆる無脊椎動物の世界には底知れない深さがあります。
解剖をやっているから思うのですが、
内臓って紫とかピンクとか、思ったよりも色鮮やかで、
ナマコとかイソギンチャクの色も、全くそれと同じなんです。
進化の過程で、例えばナマコの様なものに
手足が生えて脳がついたものが人間になったと考えると、
無脊椎動物の世界ってのは、つまりは僕ら内臓の世界なんです。
自分が感じた無脊椎動物の世界の深さっていうのは、
実は、自分のお腹の中の世界と結びついていたからなんです。”
(↑かなりまとめちゃいましたが、だいたいこんな感じ)
「生命記憶」という概念があります。
生まれてから今までに体験し刻まれた、
日常的に使う意味での記憶とは別に、
生命が進化の過程で得てきたものの痕跡としての
(決して意識化されることのない)記憶のことを指しますが、
その生命記憶の感覚が一番色濃く残っているのは、
おそらく内臓なんじゃないかって言われてるんです。
僕らの祖先は、もともとは海の中にいたわけで、
その時にはこんなイソギンチャクみたいなヤツらと、
毎日顔を会わせていたと思うんです。
だからあの時、イソギンチャクを目の前にして
僕が「深〜い」感じを抱いてしまっていたのは、
脳が反応していたんじゃなくて、きっと内臓が反応していたんですね。
僕の内臓に刻まれた生命記憶が揺さぶられ、
目の前の旧友のことを、一生懸命に思い出そうとしていたんですね。
あ〜あ、かなり「絵本」から離れてきちゃったなぁ・・・(笑)
実家の新潟に帰った際に、家族と一緒に水族館に行きました。
海沿いに建つ、県内一の水族館「マリンピア日本海」。
優雅に泳ぐ大きなサメやマグロ、綺麗な色をした熱帯魚、
賢いイルカたちのショーはたくさんの客で賑わっていて、
どれも本当に面白かった。
でも何故か、僕が一番惹かれてしまった生物、それがこいつ。

イソギンチャクはあまり動かない。
僅かな海水の流れに合わせて、その触手をうねらせはするものの、
泳ぎもしないし、もちろん芸もできやしない。
だけど、じぃ〜っと見つめていると、
自分の中の深〜い部分、自分すら知らない自らの生の深部、
そんなところへと意識を運んでいってくれる様な、
不思議な気持ちになってしまう。
話は変わって(っていうか繋がってるけど)、
最近、美術評論家であり解剖学者の布施英利さんのお話を聞いて、
これかっ!て思ったんです。
“ ダイビングで海に潜って、たくさんの生物を見ていると、
熱帯魚は綺麗だけど、なんか底が浅いなぁって感じるんです。
それに比べて、ヒトデやナマコやイソギンチャクなんかの、
いわゆる無脊椎動物の世界には底知れない深さがあります。
解剖をやっているから思うのですが、
内臓って紫とかピンクとか、思ったよりも色鮮やかで、
ナマコとかイソギンチャクの色も、全くそれと同じなんです。
進化の過程で、例えばナマコの様なものに
手足が生えて脳がついたものが人間になったと考えると、
無脊椎動物の世界ってのは、つまりは僕ら内臓の世界なんです。
自分が感じた無脊椎動物の世界の深さっていうのは、
実は、自分のお腹の中の世界と結びついていたからなんです。”
(↑かなりまとめちゃいましたが、だいたいこんな感じ)
「生命記憶」という概念があります。
生まれてから今までに体験し刻まれた、
日常的に使う意味での記憶とは別に、
生命が進化の過程で得てきたものの痕跡としての
(決して意識化されることのない)記憶のことを指しますが、
その生命記憶の感覚が一番色濃く残っているのは、
おそらく内臓なんじゃないかって言われてるんです。
僕らの祖先は、もともとは海の中にいたわけで、
その時にはこんなイソギンチャクみたいなヤツらと、
毎日顔を会わせていたと思うんです。
だからあの時、イソギンチャクを目の前にして
僕が「深〜い」感じを抱いてしまっていたのは、
脳が反応していたんじゃなくて、きっと内臓が反応していたんですね。
僕の内臓に刻まれた生命記憶が揺さぶられ、
目の前の旧友のことを、一生懸命に思い出そうとしていたんですね。
あ〜あ、かなり「絵本」から離れてきちゃったなぁ・・・(笑)
2006.11.11
2006.11.06
愛着。
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