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2006.07.18

カマキリの大きさ

小学生の頃、図画の時間にカマキリの絵を描きました。
机の上にカマキリをのせ、それを興味津々な表情で覗き込み、
掴んでやろうと手を延ばしている、僕とカマキリのツーショット。

最初僕はカマキリを現物と同じ、
つまり延ばした自分の手をよりも随分と小さく描いていました。
それを見た先生は「もっと大きく描きなさい」と僕にアドバイスをくれ、
僕が少しだけ大きく描き直すと、さらに「もっともっと」と。
先生としては、子どもらしくのびのびと、
興味の対象を中心とした主観的世界を表現させたかった様です。
僕は先生のアドバイスを素直に聞き、さらに大きく、延ばした手の中には
とうてい納まりきれないくらいの巨大なカマキリを描きました。
結果、とてもダイナミックな絵に仕上がり、先生は満足そうでした。

その、現実にはあり得ないくらい大きなカマキリの絵は、
自分の感性に忠実になっただけでは描き得なかったもので、
何か借り物の様に感じたけれど、そんな違和感が逆に新鮮でもありました。
その絵を、僕はとても気に入っていたし、
先生にも褒められ、コンクールで賞を獲ることもでき、
よい思い出として僕の中に残っていました。
だから先生のアドバイスに従ったことは良かったんだ。
ずっとそう思っていました。

そして最近、こんなことを考えます。
カマキリを、見たまんま、現物と同じサイズで描こうとしていたところが
当時の僕の個性だったのではないかと。
主観的世界ではなく、現実的世界を映しとることにこそ、
興味を抱いていたのではないかと。
大きく描かれたそのカマキリに新鮮さを感じていたことは確かです。
でもそれと同時に、その絵が僕のものであるという感覚を、
いつになっても持つことが出来ずにいたのです。

何がいいとか悪いとかをここで書きたいわけではありません。
だけど、その子どもが執着を見せることは、
必ずしも大人の思う「子どもらしいこと」ばかりではないかもしれない。
リアルに現実を映しとることに必死になる子どももいるかもしれない。
そういった個性の存在の可能性に、眼を開いておくことも必要ではないかと。

大きく描かれたカマキリを、いたく気に入って、
賞まで頂いて、よい思い出を作ることができた素直な子どもは、
大人になってひねくれた今、ひとりそんなこと思うのでした。(笑)
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Posted at 08:30 | 幼いころ | COM(8) | TB(0) |
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