2006.05.31
ペーパーナイフ

あるとけっこう便利ですよ〜。
初めてのペーパーナイフは、今から10年以上前。
雑誌メンズ・ノンノの読者プレゼントで当選しました。
が、当時の僕はそんなものの存在すら知らず、
「いらね〜」って思ってたんです。
でも一人暮しを始め、自分宛の封書が日々届く様になると、
けっこう頼りになるんですね〜、コイツが。
次第に、こんなに毎日使うのなら、
もっといいデザインのものを、と思う様になり・・・
(そう、その「メンズ・ノンノ」はイケてなかった)
そして苦節9年、やっと出会うことが出来たんです。
場所は、約1年ぶりに行ってみた大江戸骨董市。
ABN AMURO Bankという
ヨーロッパの銀行のものらしいのですが、
そんなことはどうでもよくて・・・
この美しいフォルム!
持つと、掌の中にずっしりと重みが掛かり、
先端をコントロールしやすくなると同時に
ごく自然に「よし、開けるぞ」という心構えが芽生えてきます。
「 開ける感 」を自覚させるデザイン。
2006.05.30
いいじゃないか
自分のことも、他人のことも、
いくら考えたって、どうせ全ては解らない。
だったら、
いくら考えたっていいじゃないか。
そう僕、考え過ぎちゃうタイプです。(笑)
いくら考えたって、どうせ全ては解らない。
だったら、
いくら考えたっていいじゃないか。
そう僕、考え過ぎちゃうタイプです。(笑)
2006.05.28
2006.05.27
缶。
2006.05.26
姿は違えど・・・
命が大切であることは、おそらくみんな知っている。
じゃあ、命が大切であることを、みんな本当に「解って」いるのか。
(なんて、もっともらしいことを言ってみる・・・)

「 みんな ぜんぶ いろんな 」
中川ひろたか/文 奥田高文/写真
ガラスも 紙も ホーローも
コップは みんな コップだね
腕にはめるのも 目覚ましも
アナログも デジタルも
時計は ぜんぶ 時計だね
りんごも メロンも
バナナも みかんも
ぜんぶ おんなじ 果物で
とりも くさも むしも 木も
あの子も この子も 彼も 彼女も
遠い国のあの人も
そして 僕やあなたにも
みんな おんなじものがある
それは とても かけがえのないもの
それは とても かけがえのないもの

最初は楽しい写真絵本。
「これは こっぷ」「これも こっぷ」、
「これは とけい」「これも とけい」、
姿の違う、だけど共通項を持ったものたちが、どんどん挙げられていく。
いろんな形の、いろんな物が出て来て楽しい。
だけど、読み進んでいくうちに僕らは、
挙げらてゆくものたちの、一度はその共通項を見失う。
見失った後で、最後にまた気付くんだ。
それらが全部、一番大切なもので繋がってるってことに。
じゃあ、命が大切であることを、みんな本当に「解って」いるのか。
(なんて、もっともらしいことを言ってみる・・・)

「 みんな ぜんぶ いろんな 」
中川ひろたか/文 奥田高文/写真
ガラスも 紙も ホーローも
コップは みんな コップだね
腕にはめるのも 目覚ましも
アナログも デジタルも
時計は ぜんぶ 時計だね
りんごも メロンも
バナナも みかんも
ぜんぶ おんなじ 果物で
とりも くさも むしも 木も
あの子も この子も 彼も 彼女も
遠い国のあの人も
そして 僕やあなたにも
みんな おんなじものがある
それは とても かけがえのないもの
それは とても かけがえのないもの

最初は楽しい写真絵本。
「これは こっぷ」「これも こっぷ」、
「これは とけい」「これも とけい」、
姿の違う、だけど共通項を持ったものたちが、どんどん挙げられていく。
いろんな形の、いろんな物が出て来て楽しい。
だけど、読み進んでいくうちに僕らは、
挙げらてゆくものたちの、一度はその共通項を見失う。
見失った後で、最後にまた気付くんだ。
それらが全部、一番大切なもので繋がってるってことに。
2006.05.24
三兄弟。
2006.05.24
勝手だ・・・
先日、ある人のことを「かわいそう」だと思いました。
というか、ある人のことを「かわいそう」だと
思うようになった自分がいました。
とういうのは、僕はその人のことを
その日初めて知ったわけではないからです。
以前に見た時も、その人は、今とそれほど変わらずにいたはず。
でも、以前の僕はその人を「かわいそう」だとは思わなかった。
そして今は、そう思うようになった自分がいる。
(すんません、ちょっとややこしいですね・・・)
何が言いたいのかというと、
きっと、その人のことを感知する
自分側が変わったんじゃないか、と思ったんです。
他人に対して、こう思う、こう感じるというのは、
自分の気分や置かれている状況にも依るんだなぁと。
実は、その人の「かわいそう」は、
僕が勝手に自分の中につくってしまった幻想ではないか。
そうと思ったんです。
だとしたら、とっても失礼ですね、その人に。
人によって、何に心の安堵や、幸せを感じるかは違います。
自分の尺だけで他人を計ってしまい、
イメージの「レッテル」を貼ってしまうこと。勝手だ。
というか、ある人のことを「かわいそう」だと
思うようになった自分がいました。
とういうのは、僕はその人のことを
その日初めて知ったわけではないからです。
以前に見た時も、その人は、今とそれほど変わらずにいたはず。
でも、以前の僕はその人を「かわいそう」だとは思わなかった。
そして今は、そう思うようになった自分がいる。
(すんません、ちょっとややこしいですね・・・)
何が言いたいのかというと、
きっと、その人のことを感知する
自分側が変わったんじゃないか、と思ったんです。
他人に対して、こう思う、こう感じるというのは、
自分の気分や置かれている状況にも依るんだなぁと。
実は、その人の「かわいそう」は、
僕が勝手に自分の中につくってしまった幻想ではないか。
そうと思ったんです。
だとしたら、とっても失礼ですね、その人に。
人によって、何に心の安堵や、幸せを感じるかは違います。
自分の尺だけで他人を計ってしまい、
イメージの「レッテル」を貼ってしまうこと。勝手だ。
2006.05.22
natane
2006.05.21
ただひとり
「 敵にも親や恋人がいて、彼らは敵を愛しているに違いない。
憎しみの対象は、愛の対象でもあるはずだ。」
茂木健一郎 「脳と創造性」より

「戦争で死んだ兵士のこと」 作・小泉吉宏
「今はのどかな森の中の湖のほとり、ひとりの兵士が死んでいる。」
森の中にひとりの兵士が倒れている。
その兵士の「生の終わり」から、この物語は始まる。

「1時間前、兵士は生きて闘っていた。」
今は湖のほとりに横たわる兵士。一時間前にはまだ、生きていた。

「2時間前、兵士はひとり道に迷っていた。」
今はもう、迷うことすら出来ない。
戦争で死んだ一人の兵士。
その兵士の生前の時間を遡ぼり、生きた軌跡を辿っていくことで、
読み手はその兵士に感情を移入することができる。
それは、僕たち一人一人が皆、同じ様に「生の軌跡」を持っているから。
戦争では、多くの人々が亡くなる。
でも、それは本当は「多くの人々」ではなく、
「ただひとり」の、とてつもない数の集合体であって、
そこには、やはりとてつもない数の「生の軌跡」が確実に存在する。
一人一人に親や恋人がいて、その人たちにとって
その「ただひとり」は、かけがえのない愛の対象であるはずだ。
「 そのようなことを想像し、憎しみと愛を同時に引き受けなければ、
その人にとっての世界のリアリティは平面的なものになってしまう。」
引用書 上に同じ
まず想像すること、の大切さ。
憎しみの対象は、愛の対象でもあるはずだ。」
茂木健一郎 「脳と創造性」より

「戦争で死んだ兵士のこと」 作・小泉吉宏
「今はのどかな森の中の湖のほとり、ひとりの兵士が死んでいる。」
森の中にひとりの兵士が倒れている。
その兵士の「生の終わり」から、この物語は始まる。

「1時間前、兵士は生きて闘っていた。」
今は湖のほとりに横たわる兵士。一時間前にはまだ、生きていた。

「2時間前、兵士はひとり道に迷っていた。」
今はもう、迷うことすら出来ない。
戦争で死んだ一人の兵士。
その兵士の生前の時間を遡ぼり、生きた軌跡を辿っていくことで、
読み手はその兵士に感情を移入することができる。
それは、僕たち一人一人が皆、同じ様に「生の軌跡」を持っているから。
戦争では、多くの人々が亡くなる。
でも、それは本当は「多くの人々」ではなく、
「ただひとり」の、とてつもない数の集合体であって、
そこには、やはりとてつもない数の「生の軌跡」が確実に存在する。
一人一人に親や恋人がいて、その人たちにとって
その「ただひとり」は、かけがえのない愛の対象であるはずだ。
「 そのようなことを想像し、憎しみと愛を同時に引き受けなければ、
その人にとっての世界のリアリティは平面的なものになってしまう。」
引用書 上に同じ
まず想像すること、の大切さ。
2006.05.20
触覚的。
2006.05.19
Mac派
2006.05.18
革。vol.2
2006.05.17
超大作。
2006.05.16
僕のおじいちゃん
新潟の実家に住む僕のおじいちゃんは、
目が見えません。耳も殆ど聞こえません。
身体も、もうあまり自由が利かないので、
椅子に座ってラジオを聴いているか、寝ているかです。
だから僕が帰省しても、話す機会が殆どありません。
哀しいけれど、そうです。
でも、実家に着いた時と、
しばらくの滞在後また東京へ戻る時の2回、
「おじいちゃん、ただいま」、「おじいちゃん、またね」と
耳元で声をかけ、手をギュッてやります。
僕が帰る時間帯には、おじいちゃんはだいたい布団の中なので
その手はとてもあたたかいです。
僕たちは五つの感覚を持っています。
見えなくても、聞こえなくても、
身体に触れることで、それが心にまで触れることを願って、
手をギュッってやるんです。

ジョン・バーニンガムの絵本「おじいちゃん」で
描かれているおじいちゃんの手は、こんなに大きいです。
目が見えません。耳も殆ど聞こえません。
身体も、もうあまり自由が利かないので、
椅子に座ってラジオを聴いているか、寝ているかです。
だから僕が帰省しても、話す機会が殆どありません。
哀しいけれど、そうです。
でも、実家に着いた時と、
しばらくの滞在後また東京へ戻る時の2回、
「おじいちゃん、ただいま」、「おじいちゃん、またね」と
耳元で声をかけ、手をギュッてやります。
僕が帰る時間帯には、おじいちゃんはだいたい布団の中なので
その手はとてもあたたかいです。
僕たちは五つの感覚を持っています。
見えなくても、聞こえなくても、
身体に触れることで、それが心にまで触れることを願って、
手をギュッってやるんです。

ジョン・バーニンガムの絵本「おじいちゃん」で
描かれているおじいちゃんの手は、こんなに大きいです。
2006.05.14
5月14日(日)

今日はとても気分が良かった。
なので、特に目的もなく銀座を歩いた。
人の「気分」って、一体なにで出来ているんだろう。
今日の僕の気分を良くさせたものが何なのか、全く見当がつかない。
いくつか思い当たることはあるけれど・・・
・思ったより天気が良かった
・電車の中で読んだ本がとても面白かった
・立ち寄ったお店で、子どもたちが「本気で」笑い合っていた
・それを見ていた店員さんも笑っていた
・エスプレッソに、いつもの倍の砂糖とミルクを入れたら美味しかった
(僕、甘党です)
でも、このくらいのことなら、今日じゃなくたってある。
それに、あまり良くないことだってあった。
・夢を見て目がさめて、二度寝目もまた夢で目がさめた
(昨日もそんな感じで熟睡できていない)
・昼食をカップラーメンで「済ませて」しまった
・図書館で、コンピュータ上ではあるはずの本が棚にはなかった
・買うつもりだったスニーカーが、履いてみたらイマイチだった
・僕の「母の日」のプレゼント案を母に却下された
ようするに、いつもの様に、
ちょっと良いことと、ちょっと良くないこととが
同じくらいあった、ごくフツーの日だったのに。
それでも今日はとても気分が良かったのだ。
これは一体なに?
(注:写真と文章とは、まったく関係がありません。)
2006.05.14
灯り
2006.05.14
おじいちゃん
この絵本、
見開きの左右のページで別々の世界が描かれています。
左側の色のないページでは女の子の想像の世界や
おじいちゃんの思い出の光景、
右側の色の着いたページでは現実の「この世界」。
いつも一緒にいるふたりが、実はそれぞれ別の世界を観ているようです。

「 おじいちゃん 」
ジョン・バーニンガム さく
たにかわ しゅんたろう やく
おじいちゃんと女の子。
ふたりはいつも一緒です。家の中、庭、海辺・・・
ごっこ遊びをしたり、おねだりしたり、時にはケンカしたり。
「ぬいぐるみのくまが おんなのこだなんて しらんかったよ。」
おじいちゃんは、女の子のままごとに付き合ったりします。
「ほら もうちょっとで すべるとこだったわよ,おじいちゃん。」
女の子は、おじいちゃんが雪道で滑りはしないかと心配したりします。
だけど、そんなふたりの会話は、ほとんど噛み合うことがありません。(笑)
それはふたりが、内面では別々の体験をしているから。
ふたりの目の前には、それぞれの「自分の世界」が広がっているんです。
でもよく考えてみると、このふたりに限らず、多かれ少なかれ
人と人が接する時って、そうでしかあり得ないのかも知れませんね。
人はそれぞれ、自分自身に見えているものしか確認することができない。
他人の体験には、どうあがいても「本当には」触れることはできない。
ちょっと哀しいけど・・・
ただね、おじいちゃんと女の子、
ふたりとも一緒にいることがすごく心地いいんです。
ただその一点では、繋がっていることは確かだと思います。
それだけで楽しくて、それだけで幸せなんです、ふたりは。
細く繊細な線と、やわらかな色使い、僕の大好きなバーニンガム節。
見開きの左右のページで別々の世界が描かれています。
左側の色のないページでは女の子の想像の世界や
おじいちゃんの思い出の光景、
右側の色の着いたページでは現実の「この世界」。
いつも一緒にいるふたりが、実はそれぞれ別の世界を観ているようです。

「 おじいちゃん 」
ジョン・バーニンガム さく
たにかわ しゅんたろう やく
おじいちゃんと女の子。
ふたりはいつも一緒です。家の中、庭、海辺・・・
ごっこ遊びをしたり、おねだりしたり、時にはケンカしたり。
「ぬいぐるみのくまが おんなのこだなんて しらんかったよ。」
おじいちゃんは、女の子のままごとに付き合ったりします。
「ほら もうちょっとで すべるとこだったわよ,おじいちゃん。」
女の子は、おじいちゃんが雪道で滑りはしないかと心配したりします。
だけど、そんなふたりの会話は、ほとんど噛み合うことがありません。(笑)
それはふたりが、内面では別々の体験をしているから。
ふたりの目の前には、それぞれの「自分の世界」が広がっているんです。
でもよく考えてみると、このふたりに限らず、多かれ少なかれ
人と人が接する時って、そうでしかあり得ないのかも知れませんね。
人はそれぞれ、自分自身に見えているものしか確認することができない。
他人の体験には、どうあがいても「本当には」触れることはできない。
ちょっと哀しいけど・・・
ただね、おじいちゃんと女の子、
ふたりとも一緒にいることがすごく心地いいんです。
ただその一点では、繋がっていることは確かだと思います。
それだけで楽しくて、それだけで幸せなんです、ふたりは。
細く繊細な線と、やわらかな色使い、僕の大好きなバーニンガム節。
2006.05.13
きれいな形。
2006.05.08
2006.05.06
2006.05.06
2006.05.05
2006.05.05
2006.05.05
2006.05.04
2006.05.02
僕の服。
2006.05.02
服。
「 女性は、衣服が生き方やライフスタイルまでも
変えうるものだと、潜在的に感じています。
衣服の持つ可能性を信じている。」
d long life design vol.7 清水早苗 「実験的ファッション論」より
その人に似合う服は、その人を外側から引き立てる。
その人の好きな服は、その人を内側から輝かせる。
そんなことを思いました。
変えうるものだと、潜在的に感じています。
衣服の持つ可能性を信じている。」
d long life design vol.7 清水早苗 「実験的ファッション論」より
その人に似合う服は、その人を外側から引き立てる。
その人の好きな服は、その人を内側から輝かせる。
そんなことを思いました。
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