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2009.08.29

裸画伯。



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2007.09.07

ラストシーン。




デジカメが、落ちて、壊れた・・・

これは何とか救出したデータの、一番最後に写っていた画像。
(ホントーです。加工も何もしてません。)
やっぱりコイツも、最期に走馬灯を見たんだろうか?




追記:
かなり古いモデルのため、修理には最低でも¥13000以上、
しかし、パーツが用意できない可能性も大とのこと。
よって、新しい相棒の購入を考えつつ、土日ともにアキバ通い。
日曜日には「メイドの格好した男性」とか見れて、面白かったです。
2007.08.21

こちらが、




友人の炭火焼店のポスターです。

今後の「ちょいギャグっぽい方向」への展開も考慮し、
(まぁ、僕が勝手に考えているだけなのですが・・・)
まず一発目は真面目に語っておこうよ、ということでこんな感じに。

いやぁ~、それししても撮影は暑かったぁ~。
このクソ暑い中、さらにクソ暑い炭火に挑みましたからね~。
もう、体じゅう汗だくで、レンズはアツアツで・・・

右下に小さく入っているコピーは、
焼くこと、火をおこすことの意味について、
単に「美味しく、安全に」だけではないという観点から、
ちょっとカッコつけた語り口で、僕が書いています。

実際には上下を分けてB1二連にし、横に並べて掲示。
さて、評判はいかがなものか?
2007.08.19

残念。




鎌倉にて。

ミニチュア(置物)が売っていると聞いて
楽しみにしていたんだけど、全然ダメでした。

表情が、全く違う。

大仏って、悟った人の像ですよね?(違ってたらスミマセン)
悟った人がどんな表情をされているかって、
かなり重要なポイントだと思うのですが、
その点が、全く再現されていなかった。

残念。
2007.08.17

← 炭




友人がやっている炭火焼店の
店頭用メニューボードを作ってみました。

単純に「← 炭はこっち!」みたい感じがいいかなと。
矢印が常に左を指しているため、
ボードを置く位置が限られてしまうのが弱点。

友人からのメールによると、さっそく、
若い女性が2人、座り込んで(それもどうかと思うけど)
見入ってくれていたそうです。
そしてその2人は、結局、店には入って来なかったそうです・・・
あちゃ~(苦笑)

ま、確実に足を止めてくれる人は増えたらしく、
今後に期待って感じっす。


実は、
この他にB1二連のポスターも作ったのですが、
そちらの方は市販のフレームのせいで表面がテカってしい、
うまく撮影できませんでした。
気が向いたら、そのうちデータから載せますね~。
2007.07.21

一つのこと




一つのことにのめり込むと、
その「一つのこと」にくっついた「色んなこと」が見えてきて、
結果的には広く様々なことが得られる。

「狭く深く」のその先は、きっと「広く」に続いているんだと思う。
(「広く」なっても深く在り続けるかどうかは分かりまへん・・・)
2007.06.24

Prologue


茂木さんの著書『脳と仮想』は、
冒頭「サンタクロースは存在するか?」という
ひとつの問いの提示から始まっている。

これに対して、
「この問いほど重要な問いは、この世界には存在しない」と述べられ、
「サンタクロースは仮想としてしか、十全には存在しない」というスタンスで、
次章以降、さらに深い考察へと入っていく。

例えば「蛍」について。
戦後まもなく、亡くなった母親の姿を川沿いを飛ぶ蛍に見た、
という体験を語った小林秀雄のエピソードを採り上げて著者は言う。

「夕暮れの川沿いを、光の点が飛んでいく。これは、物質的現象である。この
 物質的現象は、数にすることができ、方程式にすることができる。それを、
 蛍と見る。普通はこれを客観的認識だという。
 だが、一体客観的世界に『蛍』という実在が存在するのか?そんなものは存
 在しない。物質として存在するのは、点滅する先端を持ち、二つの開閉する
 硬質の覆いが付属した三センチくらいの『何か』である。その『何か』が暗
 闇を光りながら飛ぶ。暗闇の光を『蛍』だと認識するのは、人間側の勝手な
 思いこみに過ぎない。『蛍』とは、客観的な現象ではなく、一つの生成され
 た仮想なのである。」

見て、認識するという、
僕らが日常的に何の苦労もなく行っているの当たり前のことを、
あたかも一度ひっくり返している様に見えるけれど、
実のところ、上の様な見方のほうこそが真実なんだろうと思う。

こんなふうに世界を捉えられる人が、僕にはとても信用できる。
ノームや妖精の世界についても、これと似たところがあるんだろうか?
2007.06.24

ブレッソンを観た。


世界中で「決定的瞬間」を捉え続けた写真家、
アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)
の展覧会を観た。




ブレッソンに限らず、
いわゆる「スナップ」と呼ばれる様な
日常の一コマを切り取った写真の魅力のひとつは、
同じフレームの中で複数の人生が交差し、
その共存を露に観てとれるところにある、と僕は思う。
(要は、一枚の写真の中に色んな人が写ってるってことです)

同じ時間、同じ場所にいて、
ひとつのフレームに納まったって、
やっぱりその中には、写った人の数だけ人生が在る。
笑う者がいて、叫ぶ者がいて、泣く者がいて、
ただぼ~っとしている者がいたりして。

同じ場所にいるからって、同じものを見てるとは限らず、
同じものを見てるからって、同じことを感じてるとは限らない。
個々の生は常にバラバラに進行していて、
その「バラバラ」が、ひとつのフレーム内に集約されても尚、
やはりどうしようもなくバラバラとしている。

「個」ってそんなもんなんだな、こりゃ。
と、思ったりする。


「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」
東京国立近代美術館(MOMAT)にて。
2007.06.02

イタル。




「考える」ことを詰めていくと、やがて「感じる」に至る。

と、茂木さんが仰っているけれど、
確かにそんな感じはあるなぁ、と思う。

茂木さんレベルの「考える」と、
僕レベルの「考える」には、明らかな差があるとして、

それにしても、
僕なりに考えを詰めていった先に観えてくる
ある種の結論やアイデアの様なものは、
はっきりとした形を持って掴むことができるわけじゃなく、
遠くに、かすかに現れた(気がした)それを、
自身がアンテナとなって積極的に感受するという様な、
そんな感じに近い気がする。

ということで、今日も東京はいい天気です!
2007.05.28

愛、それは



先週末は、新潟にて親戚の結婚式へ。

良かったな。
感動したな。
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