2007.08.06
叩く。
2007.07.21
これは、
「マウス」ではなく「石鹸」です。

言葉は難しいけれど、
言葉なんて簡単なもんで、
例えば悲しい時、
言葉の「悲しい」は「悲しい」だけで終わるけど、
実際に自分の身に「悲しい」ことが起こったら・・・
と想像すると、それはもう辛いわけで、
痛い時だって、
言葉では「痛い」と記すだけ。
でも自分の身体が「痛い」かったら、
それも、ものすご〜く「痛い」かったら、
その時にはこうやって、
パチパチとキーボードを打ってなんていられないわけで。
そこにある言葉が示すものを、
ひとつひとつ
自分の身に置き換えて想像してみると、
(本当にひとつひとつやったら身が保ちませんが・・・)
言葉がいかに簡単なものか、そして、
実際に示されているものとは別のものか、
ということが、よ〜く実感されて、
何だかガックリくることがある。
2007.07.10
1とか10とか

下は、とある宝石・時計店の広告コピーからの抜粋です。
ちょこっと話題になったらしいので、
ご存知の方もいらっしゃるかも知れません。
『 時の商人 』
その商人は時を売っていた。
「いらっしゃいませ。時はいかがでしょうか?1分から承ります」
ある男は商人から1時間買った。
1時間買った男は、
それを読書の時間に使った。
ある女は1週間買った。
1週間買った女は、
それを海外旅行に使った。
「10年欲しいのだがね」
ある老人は商人に聞いた。
「お客様、10年だと、すこし値がはりますが」
「かまわん。10年ぶんよこせ」
10年買った老人は、
それを病気の妻に譲った。
これ、僕は好きです。
これを読んで、1とか10とかについて考えたことは、
人でも物でも、1時間や1週間位なら
一緒にいたいと思うことって、まぁ、あると思うんです。
でも、10年先を見通して、ずっと一緒にいたいと思うなら、
そこにはきっと、愛があるんだろうなぁ、と。
写真は、先日のと同じ写真集「LOVE ON THE LEFT BANK」より。
2007.06.13
2007.03.18
今日の東京は、
まだまだ寒いけど、とてもいい天気です。
「 生きていく上では、重要なものとそれ以外があり、
重要なことだけを押さえておけばよいと考えるのは、
自らの思考の周りに人工のガラス瓶をつくるようなものである。」
茂木健一郎 「脳と創造性」より

ということで、
ノッポンくんに久々にご出演いただきました。
(が、それは置いといて・・・)
例えば、
自分の好きなものだけを求め、
それだけでガチガチに身の回りを固めてしまうっていうのは、
ある意味「自分という範囲」から一歩も出ていない
という事にもなるのかも。
予定したことが、予定通りだけで済んでしまったら、
それはやはり「自分という範囲」内でしかなくて、
時としてそれは、とても窮屈。
だから、
いかに「それ以外」の侵入を拒まない自分でいられるか、
に憧れたりします。(それがまた難しいのですが・・・)
東京と違って、
新潟は雨天のとても多い地域です。
そんな土地で、もしずっと「人工のガラス瓶」の中にいれたら、
僕の大嫌いな雨を避けることはできるけれど・・・
陽の光も、風も、匂いも音も、きっとイマイチなことと思います。
「 生きていく上では、重要なものとそれ以外があり、
重要なことだけを押さえておけばよいと考えるのは、
自らの思考の周りに人工のガラス瓶をつくるようなものである。」
茂木健一郎 「脳と創造性」より

ということで、
ノッポンくんに久々にご出演いただきました。
(が、それは置いといて・・・)
例えば、
自分の好きなものだけを求め、
それだけでガチガチに身の回りを固めてしまうっていうのは、
ある意味「自分という範囲」から一歩も出ていない
という事にもなるのかも。
予定したことが、予定通りだけで済んでしまったら、
それはやはり「自分という範囲」内でしかなくて、
時としてそれは、とても窮屈。
だから、
いかに「それ以外」の侵入を拒まない自分でいられるか、
に憧れたりします。(それがまた難しいのですが・・・)
東京と違って、
新潟は雨天のとても多い地域です。
そんな土地で、もしずっと「人工のガラス瓶」の中にいれたら、
僕の大嫌いな雨を避けることはできるけれど・・・
陽の光も、風も、匂いも音も、きっとイマイチなことと思います。
2007.02.18
自然と思う。
「 1歳から100歳までの夢 」という本が出ていますね。
僕はそのことを、友人のハナガラさんから聞いていて、
先日、書店で見かけたので、ちょいと立ち読みしてみました。
全ての人の「夢」を読んだわけではないけれど、
僕が一番印象的だったのは、やっぱり100歳のばあちゃんの言葉。
つらつらと短めの言葉で夢を語った後、最後に、
(つまり、その本の最後の言葉でもあります)
「 自然と同じかと思う。」
と仰っていました。
自然界に四季があるように、
自分の身体にも四季があることを感じると。
つまり、人間の身体は、
しっかりと自然に繋がっているのだということかな?
だとしたら、
それはきっと、おばあちゃんのことだけでなく、
「人間」全体のことなんでしょうね。
よく言われるけれど、僕たち人間だって自然の一部なんだし、
もっともっと大きな何かしらの流れの中の、
ほんの一点に過ぎないんだと言うこともできます。
今から約46億年前に、この地球の原型ができ、
そして約20万年前(だっけ?)に、ホモ・サピエンスが現れた。
それ以前の、数えきれない数の種の生成と絶滅を思い、
その途方もない時間の流れに思いを馳せるてみると、
昨今の、
例えばホリエモンとか、例えば納豆ダイエットとか、
そんなことは、もうホントにホントに、ど〜でもいいことに思えてきます。
そんな暇があるのなら、少しでも自分の想いを、
このおばあちゃんの様に「自然」に触れさせていたいと思うのです。
アインシュタインは、
深く深く自然をのぞきこめば、
あらゆることがもっとよく理解できるようになるんだ、と言った。
それと同じ様に、
深く深く自分(人間)をのぞきこむことで、
もっとよく、自然のことが理解できるのかもしれない。
100年も生きたおばちゃんが、仰るんですから(笑)。
僕はそのことを、友人のハナガラさんから聞いていて、
先日、書店で見かけたので、ちょいと立ち読みしてみました。
全ての人の「夢」を読んだわけではないけれど、
僕が一番印象的だったのは、やっぱり100歳のばあちゃんの言葉。
つらつらと短めの言葉で夢を語った後、最後に、
(つまり、その本の最後の言葉でもあります)
「 自然と同じかと思う。」
と仰っていました。
自然界に四季があるように、
自分の身体にも四季があることを感じると。
つまり、人間の身体は、
しっかりと自然に繋がっているのだということかな?
だとしたら、
それはきっと、おばあちゃんのことだけでなく、
「人間」全体のことなんでしょうね。
よく言われるけれど、僕たち人間だって自然の一部なんだし、
もっともっと大きな何かしらの流れの中の、
ほんの一点に過ぎないんだと言うこともできます。
今から約46億年前に、この地球の原型ができ、
そして約20万年前(だっけ?)に、ホモ・サピエンスが現れた。
それ以前の、数えきれない数の種の生成と絶滅を思い、
その途方もない時間の流れに思いを馳せるてみると、
昨今の、
例えばホリエモンとか、例えば納豆ダイエットとか、
そんなことは、もうホントにホントに、ど〜でもいいことに思えてきます。
そんな暇があるのなら、少しでも自分の想いを、
このおばあちゃんの様に「自然」に触れさせていたいと思うのです。
アインシュタインは、
深く深く自然をのぞきこめば、
あらゆることがもっとよく理解できるようになるんだ、と言った。
それと同じ様に、
深く深く自分(人間)をのぞきこむことで、
もっとよく、自然のことが理解できるのかもしれない。
100年も生きたおばちゃんが、仰るんですから(笑)。
2007.02.08
今日は、
正確にはもう「昨日は、」ですが、
茂木健一郎さんと音楽家の江村哲二さんとの対談を聴講。
お二人を拝見していて思ったことは、
「好きだから」じゃなく、「信じるから」やるんだってこと。
対談後の質疑応答時に、客席から
茂木さんのテレビ出演の多さを茶化す様な質問があった。
茂木さんは、一応の返答の後、キレて・・・ そして最後に仰った。
「もっとあなたの、信じていることについて訊いて欲しかったんだ」と。
とても、心に響いた。
茂木健一郎さんと音楽家の江村哲二さんとの対談を聴講。
お二人を拝見していて思ったことは、
「好きだから」じゃなく、「信じるから」やるんだってこと。
対談後の質疑応答時に、客席から
茂木さんのテレビ出演の多さを茶化す様な質問があった。
茂木さんは、一応の返答の後、キレて・・・ そして最後に仰った。
「もっとあなたの、信じていることについて訊いて欲しかったんだ」と。
とても、心に響いた。
2006.11.22
ただ、抜粋。
子供の領分の中に、全てがある。
最高の知性を身につけ、洗練と博覧強記を追求し、それでいて、
公園でBB弾を見つけて喜ぶような、子供の心を忘れずにいなさい。
夢中になって遊び、気が付くと夕暮れだった、
あのような集中と強度を、そしてその後の弛緩のまどろみを持ちなさい。
そうすれば、世界はきっとその秘密をあなたに明かしてくれることでしょう。
茂木健一郎 「 やわらか脳 」より
2006.11.16
その時々
2006.10.28
情報がいっぱい

こんな気持ちのいい休日には、
ちょっとしつこいけれど(笑)、またまた茂木健一郎さんの言葉です。
「 誰にも目撃されず、流通することもなく、
ひっそりと息づき、ひっそりと消えていく。
世界は、誰にも知られず生き、死んでいくマルオミナエシのように、
決して流通することのない、もの言わぬものたちに満ちている。
もの言うものたちのことは他人に任せよ。
もの言わぬものたちのことをこそ思え。」
茂木健一郎 「クオリア降臨」より (※マルオミナエシは貝の一種)
街を歩けば、黙っていても目に耳に飛び込んでくる情報がいっぱい。
人の手によって加工され、整理された情報でいっぱい。
広告の仕事をやっていた僕が言うものなんですが、
そんなものは、結構どうでもいいものだったりする。
それよりも、それよりも、
夏の終わり頃、草むらに置き去られた蝉の羽に、
幾千もの波との衝突をへ、
柔らかく優しく、その角を落としてきたシーグラスたちに・・・
(あ、自分の過去ネタからピックアップしてます)
そんな、決して言語化できない、決して流通し得ないものの中に潜む、
故に無限の情報の方にこそ感覚を開いてみる。
あれれ?そっれて、子どもたちの得意分野では?
疲れてる朝なんかに、こんな言葉に出会うと、
思わす涙が出てしまう今日この頃。歳のせいかな。(笑)


