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2007.11.10

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しばらく前に、ことり文庫さんで開かれた会の「絵本交換」で
僕にまわってきた二冊のうち一冊がこれ。









所詮ダジャレと侮ることなかれ。
絵と言葉、二つの要素が渾然一体となって奏でるハーモニーは、
まさにダジャレのフルコース。

前菜的な「クスッ」とした笑いから、
豪快&壮快なメイン笑い(何だそりゃ?)、
もう一度訪れたくなる様な気になる笑いまで、メニューはいろいろ。

皆さん、是非ご予約を。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



一ヶ月以上更新しないと広告が付けられてしまう様なので、
久しぶりに書いてみました。
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Posted at 23:46 | 絵本 | COM(12) |
2007.06.10

A monster in imagination


言葉と、それに伴うイメージだけがひとり歩き、
な~んてことはよくありますよね。

通常の意味で、何かを「みる」という行為は、
単純に目で見るということに加え、
心で観るとでも言う様な、心理的な志向もかなり手伝って、
ようやく成り立っているもんです。

だから、そのどちらか一方が欠けた時、
僕らの「みる」は、いとも簡単にハチャメチャに・・・



「 ぼくの どーつぶ  The Aminal 」
  さく ローナ・バリアン
  やく かねはら みずひと


かなりグロテスクなモチーフも描いているにも関わらず、
不思議と軽快で、なんだか「おしゃれ」すら感じる、
そんな絵に惹かれました。

主人公のパトリックは、
ピクニックに行った先で、ある生き物を見つけます。
パトリックは、その生き物(本人いわく「どーつぶ」)
と一緒に暮らしたいと持ち帰るのですが、
帰途、たまたま会った友達のモリーに、

「まるくって みどりいろしてて めをぱちぱちさせてて
 つめが たくさんあって とがってて
 しっぽを もぞもぞ うごかすんだよ。」

なんて、言葉だけで説明しちゃったもんだから、
モリーの中では、イメージが、仮想が、妄想が・・・
どんどんどんどん膨らみながら、
次から次へと伝言ゲームでみんなに広がっていっちゃう。

パトリックは、ものすごい怪物と住んでいるらしい!
あぶないって、教えてあげなくちゃ!守ってやらなくちゃ!
みんなでパトリックのもとへ駆けつけます。



ちょっとグロくて、ドキドキなお話だけど、
最後にはホッとして、あたたかい。

きっかけは、ただの勘違い&妄想。
でも、そこから広がっていく友だち同士の団結、思いやり。
そして最後に、もうひとり加わった「おともだち」。
おしゃれなイラストと構成。軽快、愉快。

ちなみに、
最後にジェラルディンに伝えられた頃には、

「もじゃもじゃで とげみたいな みどりのけが はえてて
 おそろしい めをしてて
 おおきさは さんじゅうメートルで
 しっぽには へびが なんびきも はえてるんだって!」

ってとこまで膨らんじゃってる。
そんなところに生えさせられたヘビの立場って・・・(笑)
Posted at 14:23 | 絵本 | COM(4) |
2007.03.13

ひゃく と ゼロ

たっぷりの干し草を食べて、100リットルの水を飲んで、
一日ひとつのうんちをする、生まれたばかりの象。

二年目、同じ様に
たっぷりの干し草を食べて、100リットルの水を飲んで、
今度はうんちが、ふたつになった。

そうやって、
毎年ひとつずつ、うんちの数は増えていき、
50歳では、象の予想通り50個に。
ところがその翌年、51歳になった象のうんちは・・・

(なので、もしお食事中でしたら後ほどお読み下さい)



「ぞうのさんすう」 ヘルメ・ハイネ さく いとうひろし やく


うんち、別名「大便」。

それは、生命からの「大きな」「お便り」です。
本来自然の一部として在ったものが、
自らの体内を経て届く、大切な大切なお便り。

主人公の象は、
このお便りを読み解く力を持っていたのでしょう。
象は自らの死期を悟る動物だと言われますが、
この本で、それはうんちの数によって示されます。

50歳までは毎年ひとつずつ増え続けたうんち。
ところが、51歳の朝には49個になり、
その後は一年ごとにひとつずつ減っていく。
48、47、46、45、44、43、42、41、40、39、38、37、36、35・・・
そしてついに、「さいごは はじめと おなじ」になり、
象は「うんちを しなくなったぞうが いくところ」へ向うのです。
そういう、ちょっと哀しげなお話。

モノクロの細い線画で構成された絵が、
その哀しさを、いっそう引き立てているかに見えますが、
淡々と、やや引いた視点で描かれているためか、
訴えかけてくるのは「同情」ではなく、
むしろ、「考えること」である様に思われます。

「 ぞうは しあわせでした。
  100年 いきてみて、やっと ゼロというものが わかりました。」

象は、決して哀しくはなかったのです。
Posted at 07:49 | 絵本 | COM(4) |
2007.03.11

雪国育ちだし

様々な雪の結晶の写真に、
詩人や著名人の「言葉」が添えられています。英語で。











Kenneth Libbrecht 「 SNOWFLAKES 」

僕は英語ができないので、
ただ、この形たちを眺めているだけなのですが、

不思議ですね。
もちろん自然物なんだけれど、
じっと見ていると、その規則的なパターンに、
どうしても人工物を想像せずにはいられない。

想像しつつ、
とは言え、やっぱりそれは自然のものなんだと、
思い直し、感嘆する。

意識の中で、
その二つの捉え方が椅子取りゲームしてるみたい。


でも、
僕たちの心の中でも、
一見正反対の感情が同居していて、
それらが交互に立ち現れてくるっていうことはよくあるし、

例えば、仏教と自然科学など、
一見対立的に思える概念同士でも、
ある地点に於いては、重なった様に見えることもあるというし、

だからきっと、
どちらか一方なのではなくって、
両方あってこその「世界」なんであって、
じっと眺めることでその両方が見えてくるっていうのは、
考えてみれば当然のことなのかも知れません。

そんな感じで、眺めるのにいい本です。
・・・って、全く本の紹介になってませんね(笑)

ことり文庫さんで、買いました。
Posted at 11:25 | 絵本 | COM(2) |
2007.01.13

しつもん

こんにちは
きみ、だあれ?

どこからきたの?

きみの
たからもの、って
なに?

あめがふってて
すごくうれしい
そんなことってあるとおもう?

うそをつくのは
ぜったいに
いけないこと?

I love you.
いみ、わかかる?

(本文中の「しつもん」より)



「 きみに、しつもん 」
  ぶん・よしだ しょうこ  え・まつかわ めぐみ

こんな感じで、最初から最後まで、
全部で16の質問で、この本は貫かれています。

「こたえはひとつじゃありません
 こたえるたびにちがうかもしれません」 (本文、冒頭より)

成長とともに置いていってしまうのではなく、
一緒に連れて大きくなっていきたい。
その途中で、度々この「しつもん」たちに、
向き合う機会を持ちたい。
そして、変わっていく自分も含めて、この本を楽しみたい。
そんな同伴型の、ちょっと「大人な」絵本。

質問って、
答えが欲しいからするだけじゃなくって、
それについて、考えて欲しいからするものでもあるんですよね。

僕が絵本好きになったきっかけの、最初の3冊のうちの1冊。
Posted at 13:53 | 絵本 | COM(4) |
2006.10.17

静より動。



「 しあわせ 」
レイフ・クリスチャンソン 文
にもんじ まさあき 訳
ディック・ステンベリ 絵

僕は「しあわせ」という言葉に、静と動でいうならば、
どちらかというと「静」のイメージを抱いていました。
平穏とか、安心とか、やすらぎとか・・・

でも、それだけではなくって、心が「動」の状態の時に、
もっと言うと、前に向って進もうとしている心の中にこそ、
自分では気付きにくいけれど、「しあわせ」は生まれているんだな。
そんなことを、この本を読んで思いました。

「しあわせってなに
 王様のように
 思いのままにできることだろうか
 それとも
 大切だと思ったら
 勇気をだして
 やってみることだろうか」

(本文より)

「あおくんときいろちゃん」を頂いた方に、
僕はこの「しあわせ」をプレゼントしました。
でも、その方はもう既にこの本を持っていて・・・
だから逆に、その方の「しあわせ」を僕がもらったんです。

つまり、相手に「しあわせ」を与えることで、
自分も「しあわせ」を受け取ることができた、ということです。
なんちって。
Posted at 01:35 | 絵本 | COM(5) | TB(0) |
2006.10.08

自分の色

「 ぞうってものは はいいろです
  それはだれでも しっています 」

レレブムは青い象です。
レレブムは自分の色が大嫌いです。
みんなと同じ灰色になりたい、そう願っています。




「 ぞうさんレレブム 」 文・絵 シュレーダー  訳 矢川澄子

自分の色が好きになれない。
そういうことって、僕もあったかも。
自分とは全く違った色を目標に掲げ、そこへ向って一目散。

でも、その途中で思ったことは、
(「気付いた」かどうかは分からないけれど、「思った」ことは、)
自分が嫌っていたその色を、
好きでいてくれた人もいるらしいということ。
自分の中の色のある一面が、
他人にはいい色として映っていたこともあるらしいということ。
自分の色とその周辺に目をやった時、
それを支えているのは、自分だけじゃなかった。

話は変わりますが、
ただ「いい色」というものはない、そう思います。
あるものが、ある色を帯びた時、
そのものは、「いい色をしている」と言えることがある。
また、ある色が、別の色の隣にきた時、
あるいは上に下に、重なり合った時に、
その色の組み合わせから、固有の良さが生まれる。
そういう在り方でしか、
いい色というのはあり得ないのではないか、そう思います。

だから、
色を変えようとしなくても、
その色が、よく見える場面を探してみる。
別の色をちょっとだけ組み合わせてみる。
そんなのも、ありかな?

レレブムは、緑になり、白になり、その度に傷いて、
最後にまた、もとの色である青に戻った時に
至上の安堵と喜びを得ることになります。

「 ああほっとした ラッタッタ
  みんなのいろは どうだって
  ぼくはやっぱり あおいぞう
  てんかいっぴん ラッタッタ 」

自分の色なんてのが、もし本当にあるのだとしたら、
何よりもまず先に、その色のことを、
もっともっと「解ってやって」みること。
自分の色が好きになれなかった僕は、
実は、自分自身がどんな色をしているのかなんて、
全く解っちゃいなかった。(笑)

今回はいつにも増して、
自分の側へ引き寄せて書いちゃいました。
本当は上に記した本文の様に、リズムカルで楽しい絵本です。
Posted at 10:42 | 絵本 | COM(8) | TB(0) |
2006.09.10

東京の数字

6,361人のホームレスと、62万4400の空き家

59人の他殺死者と、2,567人の自殺者

4,276件のドメスティック・バイオレンスと、104軒のSMクラブ

44万件の無言・イタズラ110番と、4万1522人の聴覚・言語障害などの人



重~い事実に、POPなイラスト。
2003年に出版された「東京のかぞえかた」。
著者・吉田稔、イラストレーション・岡村慎一郎。

様々な数字の対比を通して、
東京の(というかこの世界の?)矛盾した現実を見ることが出来ます。

例えば、「59人の他殺死者と・・・」の後には、
他人を殺したくなる世の中は、こわい。
自分を殺すしかない世の中は、もっとこわい。と、

また、「44万件の無言・イタズラ110番と・・・」の後には、
無言電話は、イタズラとは限らない。
と続いています。

僕は東京に住んでいます。
部屋の窓から東京の空を見上げ、
その下、これらの数字のことを想うと、
なんだかとてもおかしな気持ちになってきます。

約3年前に出された数字たち、
今は若干、変わってきていることでしょう。
その変化が、くれぐれも良い方へ向っていることを願います。
(っていうのは、ちょっと「他人事」な言い方かな?)
Posted at 11:51 | 絵本 | COM(2) | TB(0) |
2006.08.30

閉じてみる

「ひろくん」は、
目を閉じて、目の見えない友達のことを想像します。
すると、この世界のあらゆる音が見えてきます。
耳を塞いで、耳の聞こえない友達のことを想像します。
すると、この世界のあらゆる風景が聞こえてきます。



「どんなかんじかなあ」  中山千夏 ぶん  和田誠 え

障害のことを想う時、
僕は自分にとって一番近い、「おじちゃん」のとこを考えます。
以前にも書きましたが、実家に住む僕の祖父は、
目が見えず、耳も殆ど聞こえません。
だから、帰省しても殆ど話すことができないのです。
祖父が障害を持つ様になってからは、
やはりその辛さを想う機会は増えましたが、
恥ずかしながらこの絵本を読むまでは、
僕は本当には、祖父の置かれている状況を
想像してみることをしていませんでした。

目が見えず、耳も聞こえないってどんな感じだろぅ?
ってことを。

人それぞれ、感じ方は違ってくると思いますが、
視覚と聴覚を塞ぐと、眉間の奥のあたりに、
色んな、よく分からないものが密集してくる様な感じがして、
頭が破裂しそうになります。
(何だそれ?って感じですね。でも、上手くは説明できません)
僕はその状態が、恐くて恐くて仕方がありませんでした。
正直言って、それがずっと続くとしたら、
そのことに耐えるだけの自信を自分が持てるとは思えなかった。
でも祖父は、耐える自信を持てるとか持てないとかの問題ではなく、
おそらく、そう在るしかないんであって、
それは単純に強いことだと思いました。

きっと、何かを失う時というのは、
別の何かを強くしなければならない時なのかも知れません。

この絵本の終盤では、
実はひろくんは想像する立場だけでなく、
想像される立場でもあることが伝えられます。
立場が、世界が、ひっくり返るんです。
そして、ひっくり返ったその後に、
ひろくんの、というか障害を持った方々の、
心の持ち方の奥深さに、震え上がらずにはいられないのです。
Posted at 08:18 | 絵本 | COM(13) | TB(0) |
2006.08.04

バランス

物と物とのバランスのとり方に、
子どもの頃からとても興味を抱いていました。
小学生時代、机上の鉛筆と消しゴムの配置を、
どう置いたら最も自然に、かつ美しく見えるか、
ということを考え、色々なパターンの置き方を試していました。
鉛筆と消しゴムだけの単純な世界の場合は、非常によく「決まり」ます。
でもそこへノートやら定規やらが入ってくると・・・

まぁ、それはいいとして、



「 L ' altalena 」 Enzo Mari

世界は単純なようでいて複雑で、複雑なようでいて単純です。
そんな世界の中でしっかりとバランスをとり続けることは、
おそらく至難の業です。
そこに在るのは、自分ひとりでのバランスだけでなく、
多くの他者を交えた、つまりバランス × バランスの世界ですもんね。

いつも自分と同じ様な、自分の許容範囲内の相手だけが
シーソーの向こう側に乗ってくるとは限らない。
相手次第では自分の在り方を、微妙に変えていく必要もきっとある。
そうしなければシーソーを、充分に楽しむことはできない。

なんて言ってる僕は、いつもバランス崩しっぱなし・・・

でも、
単純なようでいて複雑で、複雑なようでいて単純なこの世界で、
それでもしっかりとバランスを保つことができた時、
この上なく心地よい、穏やかな世界が、目の前に広がるんだろうなぁ。



シーソーというシンプルな遊びの中に、世界の在り方を観た
デザインの巨匠、エンツォ・マリの絵本。
Posted at 02:26 | 絵本 | COM(4) | TB(0) |
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